NARRATIVE

闘病日記と化した雑記です。

観念について①心に鏡なんていらない/宇宙はある

 

 

改めて教育の大事さを知る日々だ。

 

 

 

多かれ少なかれ、

 

本心 → 心の本質というのは、

 

本当に誰しもが、

みっともなくてグロテスクで、

ただエゴイスティックなのだと思う。 

 

時に人は、

特に親 及び人の上に立つ人というものは、

なまじ俯瞰できるからと言って、

人の心に鏡を設置することがある。

 

 

「自分を省みろ」

 

「自分を見つめろ」

 

「自分勝手に動くな、人のため生きろ」

 

「えー、人という字は人と人とが支えあって…」

 

 

「なんて汚い心なんだ、だめじゃないか。

これは綺麗だから使いなさい、

きっと役に立つだろう」

 

 

 

こんな言葉で、人を、心を、

必要以上にまじまじと見せしめにする。

 

 

 

鏡に向かった自分に話しかけ続けたら、

気が狂うという実験をご存じだろうか。

 

あれを心で行わせるのだ。

 

予め醜いものだと知りながら。

 

なんと、なんと恐ろしいんだろう。

 

それ自体がエゴそのものなのに。

 

 

本心の光は、

いくつもの与えられた鏡から、

屈折して、屈折して、屈折して、

ぼんやりとした朧気な人魂になって霧散する。

 

そんなの嫌だ。

社交界では、身分偽る仮面程度で十分だ。

 

鏡面反射する光の中で本当の姿を見たい。

きっとあなたの中にも化け物がいるんだ。

人間の皮を被ったモンスターなのだ。

本物のこの世は百鬼夜行みたいに愉快なのだろう。

 

 

 

うむ。

 

本当に見つめなきゃいけないのは。

 

自分の心じゃなくて。

 

目の前の人の心なんだよな。

 

 

心なんてもんは、

いちいち見つめなくても、

勝手にぺちゃくちゃお喋りしてるから。

(ここに気づくのにニンゲン何周かスル)

 

 

心は美しい。

どんなに醜くても美しい。

だから怖がらず見つめ合いたい。

どんな人でも恐れずに。

 

 

 

私は自分の心に設置された鏡を壊した。

 

人を見るのに邪魔すぎたから。

 

まだ破片で目が眩むことがあるけれど。

 

 

 

 

目の前の人の、

勝手に設置された、

綺麗な鏡を叩き割って、

汚い心と話がしたい。

 

 

 

それが心を磨くということなのだと思う。

 

 

 

心に鏡なんていらない。

 

 

 

こんばんは。

御法川わちこです。

今日も語っているぞ。

 

 

突然ですが、私の中には宇宙があります。

 

 

そこには太陽のような自分の心があり、

フレアのように沸き立つ感情や、

光や黒点がある。

 

それだけでなく、

惑星がいくつも存在して、

様々な特性を持っている。

 

楽しいトモダチ惑星がある。

流星のようなタニンもいる。

ゴッコ惑星には2人も住んでいる。

 

輝いては消えていく流星群のように、

人々が通り過ぎる。

 

たくさんのスペースデブリが浮遊している。

 

時々爆発が起こることもある。

星が消えることもある。

または生まれることもある。

 

 

その中で、私は地球=脳から、

日々星の流れを観測する。

 

宇宙を見て哲学を深める。

自分の中に必ず答えはある。

 

 

 

 

 

何言ってんだこいつ。

 

でもこの感覚が伝わるあなたに、

いつか会いたい。

 

心からそう思うのだ。

大抵の人には馬鹿にされても。

それでいいんだ。

 

 

美しい星を見ていた。

 

 

 

 

2019/03/19