飛龍伝をめぐる心の巡礼①
こんばんは、御法川わちこです。
先日、八月の本番に向けて「飛龍伝」の稽古が始まりました。
今回の座組は、初めてお会いする方ばかりです。
どんな人なのか、どんなお芝居をするのか、いまだ未知数。
しかし、台本を読み込む真剣な表情がとても印象的でした。
みなさん演劇熱を感じる好青年ばかりです。
見知った顔ぶれも、つかこうへいさんの言葉の魔法が持つ力なのか。
ひとたび台詞を口にすると、別人のような顔つきになります。
期待以上に、白熱した初稽古になりました。
ここからどのように芝居が生まれるのでしょう。
人と人との出会いは、どのような化学反応を引き起こすのでしょう。
かつてない規模の、「飛龍伝」という怪物を前に、武者震いが止まりません。
さて、このシリーズでは、こんな内容について取り扱います。
・「飛龍伝」とはなにか。
・「学生運動」とはなにか。
・「つかこうへい」とはなにか。
正直なところ、私は上記の内容についてあまり詳しくないのです。
振り返れば、つかこうへいさんが亡くなられた翌年に演劇を始めたことになるので、もちろん生でつか芝居の空気に触れたこともなければ、DVDはどれもプレミアで手に入れることすらままなりません。
昔、蒲田行進曲を見ながら、小夏扮する松坂慶子の乳房を晒す姿に、時代を感じた記憶があります。※1
ごっこの主宰二人は、早い時期につか芝居の存在を知っていました。
特に「飛龍伝」には強い憧れがあったそうです。
私が一度「熱海殺人事件」を演じた際には、かろうじてニコニコ動画やYOUTUBEに投稿されている映像があったので、それを参考にしました。また、企画をご一緒に作り上げてくださった「風雲かぼちゃの馬車」の皆様が、熱心なつかこうへいファンだったので、たくさんのアドバイスを頂きました。
とにかく、皆様のご協力の元、暗中模索しながら舞台に立った記憶があります。
「つか、やるんだ、すごいね!」
「飛龍伝やるんだ、すごいね!」
こんなお言葉を受けて私は思うわけです。
(やべぇ。なんもわかんねぇ)
……、と。
はい。
「かつてない規模の、「飛龍伝」という怪物を前に、武者震いが止まりません。」
もう、タイピングしながら、涎垂らしているわけです。
とんでもない、恥とあほ面を晒しているのです。
その怪物の、足の爪の、靴下履いた後の毛糸くらいしか見えてないわけです。
このままじゃいけません。
とはいっても、です。
「飛龍伝」の舞台は1970年の秋になります。
ど昭和です。日本万国博覧会で、携帯電話の先駆けが発表された年です。※2
しかしどうでしょうか。
私たちの生きる時代は、昭和、平成、ついには令和となりました。
目に見える世界も価値観も、時々刻々と移り変わっています。
つかこうへいが生きた時代とはなんだったのか。
飛龍伝が生まれた社会に何が起こっていたのか。
「飛龍伝」という化け物とはいったいどんな風貌をしているのか。
つか芝居に触れたことがある人も、或いは皆目見当もつかない人も。
ここは私と一緒に、改めて考えてみませんか。
きっと、そんな風に紐解いていけば、段々と輪郭が見えてくるんじゃないでしょうか。
そうして、丁寧に探っていったものを、みなさまにご観覧していただきたいのです。
なので、稽古場の風景とともに、「飛龍伝」の故郷を巡っていく、という意味で「巡礼」という表現を使用しました。
もちろん、浅学なので、なるべく細心の注意を払いますが、誤りもあるでしょう。
しかし、感じたことやつながりが、なにかに還元されると信じています。
残り三か月、どこまで見えるか。
現在地は、全くもって未知の領域ですが、人事を尽くします。
よろしくお願いします。
御法川わちこでした。
(注釈)
※1蒲田行進曲とは
(このセンテンスは本筋とは関係ないので割愛したかったのです。
が、どうしても消せないので残しておきます。申し訳ありません。)
※2携帯電話の歴史
2019/05/10