NARRATIVE

闘病日記と化した雑記です。

みちたりる

 

 「このままじゃ足りないよ。」

 

 なんども浴びせられたこの言葉に、その言葉を放つ人に、いつもわたしは申し訳なさそうに、ちょっとだけ右側の唇をあげてみながら、俯くばかりだった。

 

 みちたりる、とは、なんなのか。

 

 「早く起きなさい。時間が足りないじゃない。」

 

 子どものころ、毎朝私の身体は温もりにあふれていた。父は祖父が倒壊させた事業を立てなおすのに必死で、ほとんど家にいなかった。母親は一人で子育てに追われ、日々苦悶と苛立ちを感じていた。それでも朝になれば、わたしは抱き合う父と母の間に挟まれて目を覚ましていた。束の間の夜の帳、眠る間だけは家族が揃っていたのだ。これはなんとも幸せだった。

 

 しかしついに父の努力は間に合わず、山の上に屹立していたお城のような生家を手放さなければならなくなった。そこから何度か転居を繰り返し、生活は不安定だったが、わたしたち家族の間には常に愛が存在していた。年子の妹とまるで双子のように育った。時折父の部屋から流れてくるギターの音が大好きだった。母は明るい性格で、読書好きが高じて不思議な教養があり、読み聞かせが特に上手だった。わたしは一日のうちで眠りのためにベッドに入る瞬間が一番幸せだった。

 

 しかし、段々とそんな余裕もなくなる。なんせ我が家は最終的に四姉妹になったのだ。当時の母の苦労を思うと心苦しい。彼女は明確に安らぎを欲していた。それは子ども心に分かっていた。しかし、わたしにできることはなにもなかった。学校の勉強には興味がなかった。草や虫の種類、野良猫の柔らかい毛や、蟻の軍隊の地図を辿る方がずっと有意義だった。そんな風によそ見ばかりして登校をしているのだ。到底登校時間は守れやしなかった。

 

 友人はきちんといたが、わたしに関わってくれる第三者は、この子はなにか足りない人、という前提条件をもって、親愛をもって接してくれていたように思う。それは掛け値なしに有難いことだった。それでも三者面談で涙を流す母を見るのは辛かった。小学校も中学年になると、自分は育てやすい子どもではなく、むしろ落ちこぼれなのだということが、教員や周囲から向けられる眼差しで分かるようになった。

 

 「勉強しなさい。成績が足りません。」

 

 わたしは周囲を安心させたかった。普通になれば母は泣かない。普通になれば友人はからかわない。普通になれば、普通になれば、みんな安心して笑顔を向けてくれると信じていた。塾に行きたい、といったのは自分からだった。話は少し逸れてしまうが、これは今でも変わらずとても不思議で、落ちこぼれのわたしの傍にはいつも優秀な友人がいる。そして彼らはわたしとの会話を楽しんでいるように見えるのだ。きっと馬鹿と天才は紙一重なのだろう。子どもの頃の友人もまた才女で、彼女ともっと一緒にいたかった。塾に行くという選択はそのための手段であった。そして、彼女と同じことをすれば、周囲の態度は変わるだろうと願った。

 

 母はとても喜んだ。あの勉強嫌いの我が子が、と、これがよくなかった。母を本気にさせてしまったのだ。わたしはこの選択のせいで、余計母を苦しめた。ただでさえ周回遅れの学力を人並み以上にするのはそう簡単ではなかったのだ。中学受験は自分が如何に足りないのかを数値で叩きつけられる残酷な体験だった。母のストレスは臨界点をこえてしまった。そこからはより一層怒鳴られながら過ごす日々だった。手をあげられる日もあった。

 

 周りの中学受験組の友人たちは、もはや義務教育など必要としていなかった。堂々と学校を休み、テストや行事の日になると時々顔を出した。しかし彼らは、足りている人間だ。明るく頭脳明晰に現れる姿を見ても、誰も何も文句を言わなかった。わたしは塾に通いだしても、小学校の勉強すら満足にいかなかった。従って休むことは到底許されず寝不足のまま小学校に通い、複数掛け持ちしていた習い事と塾をこなし、疲れ切ったサラリーマンと同じ電車で帰る生活を続けた。

 

 自分はいったいなにをしているのだろう。なんのために生きているのだろう。と、漠然と考えるようになった。今でも思い出せる。都市開発が進む戸塚駅の改札をくぐれば子ども用のスイカがピヨピヨ、と鳴いた。その無機質な鳴き声を聴きながら、この時わたしは初めて「死んでしまいたい。」と思った。

 

 「あなたには協調性が足りない。」

 

 どんな馬鹿でもありとあらゆる荷物をもたせておけば、トラブルにあっても積み荷を開いて対応できるようになる。歩荷のように知識を背負ったわたしは、なんとか第一志望の学校に合格した。しかし、荷物は荷物なのである。ここでわたしは、あろうことか肩の荷を下ろしてしまったのだ。あれだけ努力したのにも関わらず、また学校の勉強についていけなくなった。この頃には母はほとんどノイローゼのようになっていた。

 

 わたしはほとほと自分の存在に嫌気がさした。希死念慮はいよいよ死神のようにわたしの影法師となって寄り添った。眠りはいつしか癒しではなくなっていた。目が覚めると手足の冷たさに凍えた。現実から逃れるため、読書に没頭した。恐らく本格的に抑うつの初期症状が現れだしたのはこの時期だろう。朝はまったく起きられなくなった。それでも家にいることは許されなかったため、学校に行くふりをして、有隣堂の多目的トイレでバッグを枕にして、本の世界に慰められながら眠った。あれだけ望んだ学校に入っても、自分のやっていることは浮浪者のようだった。普通には、なれなかった。

 

 しかし、なぜか人に見放されない運命にあるわたしは、友人だけは常にいた。学校に行けば話せる者がいたし、親友と呼べる人にも出会った。思うに賢者に囲まれていたから、わたしのような存在にも面白みを見出してくれていたのだろう。それは教師の目に不愉快に映ったらしい。それもそうだ。学校の勉強にはまったく興味を示さず、宿題も真っ白で提出してくるような女が、ふらっと登校してくるなり、それなりに楽しそうに過ごしているのだ。

 

 教師は言った。自分の好きなことばかりしていて、周りが気を遣っているのに気が付かないのか、と。あなたには根本的に、社会的倫理感が欠けている。凡そ人のもちうる協調性が足りない。そう言った。当時は酷いことを言われたと傷ついたものだが、大人になって、あの教師の言葉は伊達ではなかったな、と思う。わたしは今でも、その社会的倫理感の欠如を埋めるのに膨大な時間を費やしているからだ。

 

 中学はなんとかやり過ごせたものの、義務教育を終えると、ついに限界がやってきた。成績は欠席した人を含めて、下から数えて2~3番目だった。まあつまり、わたしはドベだったのだ。ほとんど温情のような形で学校に留まらせてもらっていた。しかしなぜか学校での居場所は失わなかった。不登校でも、放課後になると学校に顔を出せた。そうなったのはうつ症状特有の朝の弱さにも原因があった。だがそのようにしてわたしは、いくつも部活を掛け持ちすることで妙に文化人めいた白痴女として、マスコット的な存在として周囲に認知されたのだ。ここで演劇に出会った。はじめて演劇部で科白を読んだ時の感覚を覚えている。出生地の逗子の海に飛び込んだ、幼いころの記憶。言葉が烈しい水流のように肉体を駆け抜けていった感動が、わたしの肌を震わせてならなかった。

 

 「このままだと単位が足りません。」

 

 高校をなんとか卒業させてもらったわたしは、そこから一年間、虚無に陥った。大学受験は試したものの、心は演劇にとらわれていた。演劇部の顧問から演劇の専門学校を進められるも、両親がそれを許さなかった。私自身も演劇を仕事にできるとは思っていなかった。なぜなら、わたしは醜女だったからだ。結局なににも手が付かず、無駄に塾代だけが重んでいった。

 

 この期に及んでわたしは、みっともなく演劇に縋りついていた。高校時代の縁で誘ってもらった小さな劇団に所属していた。とにかくなにか社会的に帰属するものがあるというのは、わたしにとって地獄に垂れた蜘蛛の糸のようなものだった。ある日、父がわたしを指さして「お前は動かせないレクサスだ。素直に高級車を買えばよかったよ。お前は使い物にならないのに、維持費だけがかかる。」と言った。まったくもって、その通りだな、と思った。

 

 結局、両親が納得してくれるよう教員の資格をとろうと、ほとんど勉強もせず名もない大学へと進学した。祖母が数学の高校教師であり、血縁者に教職関係者が多かったため、我が家にとって教員というのは比較的社会的地位が高かった。そのため資格を取るという名目で進学を許されたわたしは、ここでも落伍者であった。周りは真剣に教員を目指しているのにも関わらず、やはり演劇への未練を断ち切れずにいた。まともに学校にも通わず、覚えたての酒に溺れ、真剣に学んだのは麻雀の役。極めつけには、大学になって初めてできた演劇を通じて知り合った恋人と自堕落な生活を送っていた。

 

 わたしは、この今思うと禄でもない恋人と、先述した劇団から仲が続いていた親友、その親友の憧れていた女優と、小規模な劇団を立ち上げた。何事も覚えたては楽しく、なにより幼いころから疎外者であった自分にとって、居場所ができたのは何より喜びだった。はじめて科白を発してうっかり溺れた海のなかを回遊する日々が数年続いた。世間的には鼻つまみ者でも、演劇は優しかった。

 

 当然のように大学は留年した。しばらく会わないうちに父は立派に会社を立ちなおしていた。努力が実を結び、久しぶりに帰った我が家は富裕層になっていた。長女の体たらくのせいですっかり荒んだ家庭を守っていた母は、もう好きにしなさい、ただ大学だけは卒業して、と言った。わたしは涙を流しながら、「ありがとう。(これでもう少しモラトリアムでいられるな。)」と頭を下げた。清々しいクズである。しかし母が泣く姿をこれ以上見たくなかった。厄介なことに、わたしは家族を愛していた。学費の工面には、人を人とも思わないことでも平気でやってのけた。それで自由でいられるなら、他者などどうでもよかったのだ。自分の半径数メートルの世界しか見えていなかった。

 

 大学ほど母体が大きくなると学年に一人や二人、わたしのような人間が残っているのだ。わたしは喫煙所で一人の友人と仲良くなった。友人は絶望的に単位が足りない状況でも、教員になるという目標に意欲的だった。お世辞にも真面目とは言い難い友に、それ以上の無頼者であるわたしは遠慮なく理由を問うた。友人はニコニコして、社会で生きるにはそれしかないからさあ、と答えた。わたしは夜は演劇、昼は大学と、それぞれの生活を営み始めた。

 

 喫煙所で知り合ったので、友人のことはキツと呼ぶ。キツはガンダム好きで酒と煙草が好きな、綾野剛に似ている変人だった。遺伝子を残す気がないから恋人は作らない、他者に性的な興味をもったことがない、というキツとの距離感は居心地がよく、わたしたちはとても良い友人となった。わたしはキツと行動を共にするうちに、必然的に教職の単位をとれていた。教育に関する授業を受けるうちに、なぜかわたしは自分でも不思議なほど勉強ができるようになっていた。ほとんどの後輩はわたしのような異端者を忌避していたが、なかには面白がる者もいた。そうして奇妙にも留年してからやっと大学にも居場所が出来始め、教育学はわたしを変容させたという点で大いに興味の対象になった。

 

 演劇の方はというと、最初の恋人と別れてから新体制となり、女だけの劇団でなかなか上手くいっていた。そのうちの一人は結婚して幸せになるという夢を叶えて演劇を卒業していった。残されたわたしと親友は、それでも演劇をやめられず、時には俳優として、時には裏方として、できる範囲の創作を行っていた。最後に二人で企画した、はじめて自分で書き上げ上演した戯曲を、たくさんの人が関わってくれたあの公演を、わたしは生涯愛する。そのようにして、わたしは小さな演劇の輪のなかをジプシーのように移動した。この頃やっと学問、家族、演劇、いろいろな世界と自分が噛み合い、繋がった感覚があった。

 

    そしてわたしは2022年に制作として携わった一つの作品において、人間としての尊厳を破壊されることとなった。まだ血が流れ続ける足で通った警察署の無機質な取調室に座り、お情けのように配属された酷いクマをした女警官は、何度も繰り返されるやりとりに辟易する仕草さえ見せた。最後に対峙したわたしの提示した情報と書類に目を通し、女警官はただ一言、このように言った。

 

 「これでは証拠が足りませんね。」

 

 わたしはどこまでいっても無知で、どうしようもないほどに愚かだった。

 

   そうか、今度は危機管理が足りなかったなあ。

 

 つまり、わたしは、どこまでいっても、足りないんだ。

 

 それが分かった上で、生きる気力はもうなかった。

 

 終わろう。どうせ未完だ。それでいい。

 

 しかし、人生の編集者はそれを許さなかった。

 

 病棟で目を覚ましたわたしは、数年ぶりにキツに連絡をした。

 キツは無事に教員になり、業務内容は別に構わないが、とにかく朝がつらいと笑いながら嘆いていた。わたしも笑いながら(自分でもなぜ笑っているのか分からなかった。)淡々と起こったことを話した。いつもへらへらとしているキツが、無表情になった。わたしはより一層笑いが止まらなくなった。『わたしっていっつも、ほら、足りないからさ。』

 突然、キツは泣き始めた。わたしは素直に驚き、狼狽えた。ごめん、ごめん、と、この時になってやっとグロテスクな打ち明け話をした自分を恥じた。キツは、泣きながら言った。

 

 

 たりないんじゃない。ありあまってるんだよ。みちたりてるんだよ。

 だから、枠に収まらなかったり、それを奪おうとする奴がいるんだよ。

 ほんとうにどうして、分からなかったんだよ。

 

 

 キツとはそれ以来、連絡をとっていない。

 あの夜のキツの絞り出すような言葉を、涙を、繰り返し、繰り返し、誰かを、自分を、傷つけるたびに、傷つけられるたびに、思い出すのだ。

 

 みちたりていることを。

ジョニ・ミッチェル『青春の光と影』 和訳

 

和訳というよりただの意訳ですが……改めて素晴らしい詩だと思い、個人的な解釈を含め訳してみました。2022年の復活ライブの映像もとても美しかったです。

 

Joni Mitchell – Both Sides Now (Live at the Newport Folk Festival 2022) [Official Video] - YouTube

 

↑会場に満ちる祝福の気配

   よろしければご覧下さい……。

 

拙い訳ですが、ほうほう、こんな捉え方もあるのか、と思ってもらえれば幸いです。

 

Joni Mitchell  – Both Sides Now

Rows and floes of angel hair
弧を描きながら流る天使の髪
And ice cream castles in the air
空にはアイスクリームのお城が浮かび
And feather canyons everywhere
辺り一面には羽毛の渓谷
I've looked at clouds that way
雲をそんな風に見ていました

 


But now they only block the sun
でも今では、雲はお日様を翳らせるだけ
They rain and snow on everyone
みんなに雨や雪を降らせ困らせる
So many things I would have done
やりたいことがたくさんあった
But clouds got in my way
でも雲は邪魔をしました

 


I've looked at clouds from both sides now
今、わたしは雲を両側から捉えています
From up and down and still somehow
見上げては見下ろして、でも何故なのでしょう
It's cloud's illusions I recall
思い出されるのは雲の幻影
I really don't know clouds at all
雲のことなんて、なにも分からないのです

 


Moons and Junes and Ferris wheels
巡り巡る月と六月、観覧車
The dizzy dancing way you feel
目まぐるしく移り変わる感傷
When every fairy tale comes real
どんなお伽噺も現実であるかのよう
I've looked at love that way
愛をそんな風に捉えていました

 


But now it's just another show
でも今ではもう違う舞台の出番
You leave 'em laughing when you go
別れ際に喜劇だと笑われても振り向いてはなりません
And if you care don't let them know
もし傷ついても悟られないように
Don't give yourself away
わざわざ自分を他人に明け渡さないで

 


I've looked at love from both sides now
今、わたしは愛を両側から捉えています
From give and take and still somehow
与えては受け取って、でも何故なのでしょう
It's love's illusions I recall
思い出されるのは愛の幻影
I really don't know love at all
愛のことなんて、なにも分からないのです

 


Tears and fears and feeling proud
涙、怯え、そして自尊心を抱いて
To say "I love you" right out loud
大きな声で「愛している。」と伝えてきました
Dreams and schemes and circus crowds
夢、設計、サーカスの群衆
I've looked at life that way
人生をそんな風に捉えていました

 


But now old friends are acting strange
でも今では旧友が別人のように
They shake their heads, they say I've changed
「あなたは変わった。」と、首を横に振るのです
Well something's lost but something's gained
確かに喪失も祝福もありました
In living every day
日々を生きぬいてきました

 


I've looked at life from both sides now
今、わたしは人生を両側から捉えています
From win and lose and still somehow
勝利と敗北を味わいました、でも何故なのでしょう
It's life's illusions I recall
思い出されるのは人生の幻影
I really don't know life at all
人生のことなんて、なにも分からないのです


I've looked at life from both sides now
今、わたしは人生を両側から捉えています
From up and down and still somehow
見上げては見下ろして、でも何故なのでしょう
It's life's illusions I recall
思い出されるのは人生の幻影
I really don't know life at all
人生のことなんて、本当はなにも分からないのです

 

 

いよいよ年の瀬ですね。

皆さまが安らかに、健やかにそれぞれの年末年始を過ごされることを願っています。

どうかお身体ご自愛ください。

ねむれないよるに

 

 

あ、ねむれないよるだ。

 

なんて久しぶりなんだろう。20代の前半まで、それもごく最近まで、朝方まで寝付けないのは当たり前だったのに。すごく戸惑っている自分がいる。

 

先週も自殺企図を起こしかけた。考えてみれば馬鹿らしいことだ。自殺したところで何も変わらない。本当になにも変わらない。どうでもいい。

 

まったく自分の人生に集中できていない。キャリアに自信がなくて、将来が不安で。精神科に通い、混乱でぐちゃぐちゃになっている不安でできた生き物と、言葉を整理する冷静な自分との狭間でバスに揺られながら、それでも日々の幸せと僅かな身銭を大切に握りしめていると、自動ドアの開く音がする。

 

私はたくさんのものを手に入れられない。自分がほんとうに大切だと思った、たった一つだけをずっとポケットに入れている。それは愛する対象への思い。愛することでしか愛されることは出来ない。

 

時間で区切られたお給料を計算しながら、ただ早く時間が過ぎることを願っている時、わたしは本当に醜い生き物に成り下がってしまったのだなあと考える。時間が足りないと思いながら没頭していた日々のことを思い返してみても、血の池を経由しなければならないから見に行けない。

 

どんなに頑張っても、本当に欲しいものは手に入らない。そんなものは存在しない。本当に欲しいものなんてない。自分の生命と一緒にいきて、隣で眠っている人がいて、私もそのうち眠りについて、朝がくる。本当に欲しいものは、もしかしたら今、そうやって毎日続いている「おはよう。」の繰り返しなのかもしれない。だとしたら、存在しないんじゃなくて認識できないんだろう。当たり前すぎるから。

 

パンが焼ける音、温かい紅茶、バナナとヨーグルト、柔らかい日差し、キスを四箇所、そうして交わされる言葉。愛してるよ。行ってらっしゃい。気をつけてね。

 

どうやったら伝えられるか分からない。世界で一番愛してやまないあなたに、毎朝出会えることがどれだけ幸せなことなのか。毎晩眠る前に、どんどん隣で温かくなる身体を感じながら1人で頭を働かせている幸福だとか。喧嘩をしても、相互理解を深めていって、少しづつ人格が変わっていくことで安心を増やしていく喜びのこと。

 

昔は止まらない仄暗い考えが、夜になるたびに枕元に立っていて、氷のような吐息でブツブツと憎悪を垂れ流し、スモークのように部屋を悲しみで満たして、四肢の末端を凍えさせていたのだ。幼い私はいつも冷たい身体を擦りながら、小さなベッドで怯えることしかできなかったのだから。また明日が来る。また化け物になったあの人が来る。また一日が台無しになってしまう。

 

やっと力をつけて、言葉を生み出せるようになって、自分の劇団を動かして、大したことのないおじさん達に扱き使われていても、わたしは幸せだった。物をつくっている喜びがあれば、たくさん友だちが増えて、いろいろな人の家を渡り歩いて、寝ても醒めてもお酒を飲んで。けれど、それも変わってしまった。暗い、本当に暗い1年だった。やっと笑える日が増えたけれど、今でも傷口からは血が流れ続けている。こころのガーゼを張り替える日々だ。

 

演劇を愛している。

けれど、トラウマが邪魔をして、他者の認知を歪ませる。敵と味方の区別がつかなくなる。手負いの獣のように、見境なく噛みついたかと思えば、苦しみから舌を切ろうと暴れ回る。演劇に触れるためには、わたしのなかに生まれた獣を飼い慣らさなければならない。それにはやはり時間がかかるのだと思う。

トラウマってのは、あれだよ、ナルトと九尾の関係性みたいなもんだよ。ほんとにそう思う。

 

自分の身体が汚れていて、キズもので、醜い生き物だと考えている頭の隅にいるアイツは、私じゃないんだと思う。私は美しく生まれているし、とても愛されて生きてきた。あのケダモノがあの瞬間どれだけ私を陵辱した事実があったとしても、私は自分を愛するし、周りの人を愛していくし、これからも愛されて生きていくよ。

 

あの日主治医が語った言葉を忘れない。

 

「あなたは本当に頑張っていて、戦っています。それでいいんです。僕も全力を尽くしますが、もしかしたらそれでも敵う相手じゃないかもしれない。それくらいの問題を、ずーっと1人で知識を付けて行動して、よくやってきたんだと思うんですよ。だからもう隠さなくて大丈夫です。その傷口を見せてください。一緒に治していきましょうよ。いっぱい泣いてくださいよ。」

 

わたしは感謝でいっぱいだ。

こんな言葉が貰えるんだから。

わたしを愛する人がいるんだから。

 

今だ。いや、明日だ。

明日もおはようから始めよう。

ボロボロだけど、傷だらけだけど。

わたしなりに幸せになろう。なれるよ。

あなたもなれるんだよ。

 

なるんだよ。

 

* この記事は、心的外傷後ストレス障害PTSD)について触れています。

 

 

悲しみや恐怖に飲み込まれると、限りなく落ちていってしまう。

終わりのないフリーフォールのような、一番怖いと思う瞬間が、ずっと続いていく感覚だ。なにかのきっかけで起こることもあるし、唐突に襲われることもある。そのまま、当時の空間に転移されることもある。

どんなに素晴らしい一日を過ごしても、ほんの些細な言葉や態度に刺激されて、何日も暗い影が胸に巣食ってしまう。そうして、全部台無しにされる。こんなに苦しいことはない。

 

現実を生きる時間が、削り取られる。

PTSDがどのような病かというと、今の私はこのように答える。

 

あの日。

わたしがわたしじゃなかったら、どうだったのだろう。

立場の強い人間だったら。女じゃなかったら。

お酒を飲まなかったら、どうだったのだろう。

人と関わるのが嫌いだったら。パートナーがいなかったら。

わたしが気にしなければ。

演劇なんてやらなければよかった。

忘れてしまえればいい。

そうしたら、こんな風にいつまでも考える必要なんてなくなる。

どうでもいい存在になれば。

わたしは電車もまともに乗れないのだ。

もううんざりだ。痛みも、恐怖も、不安も。

疑心暗鬼がとまらない。

他人を疑うような真似、ほんとうはしたくない。

人を愛するということが、容易くできていたころに戻りたい。

憎い。

 

・・・

・・

 

こんなふうに、永遠と考えてしまう。

自分を責めない日はない。

悪いことが起きると、やはりあの時のせいなのだ、と繋げてしまう。

 

こうして吐き出さないと不安定になってしまう自分も、本当に情けない。

けれど、どうしようもないのだ。

誰か助けてほしい。

 

・・・

 

 

たった一つの真実を残しておきたい。

わたしはあの時、嫌だった。

これは誰が何と言おうと、ゆるぎない事実だ。

それが真実だ。

 

自棄を起こしてはいけないよ、と、いつか誰かが言ってくれた言葉が、今の私を支えている。

 

 

2022/11/29

祈り、祈り、祈り。

 

アフォリズムもどき散文集。

(随時更新)

 

・・・

 

 

知人から突然電話がかかってきた。長年認知症を患われていたお母様が、昼頃亡くなられたという知らせだった。相談に乗っていた時期もあり、久しぶりに少しだけ、思い出話をした。通話を切る直前、知人が「どんなことがあっても、死ぬことだけは選ばないでくれ」と泣いた。

 

知人には、わたしの近状を話していたわけではない。顔を合わせていない空白に何が起こったか、知る由もない。ただ、その瞬間、わたしは猛烈に『前を向いて生きていかねばならない』と思ったのだ。知人の口を借りた何者かの言葉を、わたしは聞いた。

 

そういう瞬間が、人生にはあるのだと思った。

 

 

・・・

 

 

今日ではない、あなたの、あの日に。あの忘れ得ぬ日に。何度も何度も落ちていってしまう皆さん。あなたの人生はあなたのものです。それをどうか、覚えていてください。

 

 

・・・

 

 

幸せを取り零すのは、贅沢で幸せなことだ。

 

 

・・・

 

 

少しだけ、難破している。進路を見失っている。コンパスが狂っている。この感覚を獲得したからこそ、落ち着いて地図を読み直せるのではないか。何も間違ってはいないのだよ。

 

 

・・・

 

 

「あなたがみたい私をみればいい。

    そこに私はいないから。」

 

 

・・・

 

 

自分たちの同意で行われていたと思い込んでいたことが、相手の善意だったと知った時、ひどく傷ついてしまう。相手の時間を奪い、付き合わせていた自分を恥ずかしく思う。

 

 

・・・

 

 

結局のところ、自分が一番信じられない。相手が悪いのではない。ただただ、自分の弱さが原因なのだ。他者に没頭することで空っぽな自分を誤魔化しているだけだ。他人をどうにかする前に、お前をどうにかしろ。お前の人生を生きろ。

 

 

・・・

 

他者に投げかけた言葉を、「いつかあなたが言ったよね。」と、自分に返された時。こんなにも励まされるものなのか、と驚く。そして、認知は簡単に歪むことを自覚する。薬を変えるべきか悩んでいる。すこぶる具合がよくない。

 

・・・

 

児童期の頃から自分の人生には三人だけ必要な人がいると思っていた。一人目は、画家。わたしの感じている色彩を言い当てられる人。二人目は、詩人。わたしの複雑な内言を読み解く人。三人目は、理解者。わたしの側にいてくれる人。今年の頭、全て揃ったと喜んだ自分を不意に思い出し、暫し泣いた。

 

・・・

 

昨日から、拳を握りしめすぎている。爪の形に並んで、手のひらが鬱血している。壊れた家庭に育ったこと、そのなかで未来への漠然とした不安を抱えながら、ここまで生きてきたこと。『普通じゃない』という認識を持たなければいけない。わたしは穏やかに生きられる。わたしは穏やかに生きられる。わたしは穏やかに生きられる。

 

・・・

 

ほんとうに心から尊敬している人に、「あなたの文章のファンですから」と言われた日から、手付かずにしていた心の一部が癒されている。血はいつか止まる。生命と競走して、けれど確実に、どちらかが先に止まる。

 

・・・

 

わたしは、あらゆる人に才能はあると思っている。なんてったって、あなたが今生き残っているのは、才能以外の何物でもないのだから。困ったときは、動物に立ち返ろうね。その場の環境に適応しているのは、すごいことなんですよ。

 

・・・

 

過去は忘れることができるけれど、なかったことにはできないのだった。

 

・・・

 

自己判断しない
人を疑わない
わたしは冷静じゃない。

 

・・・

 

ああ、苦しい。ほんとうにくるしい。指先の冷えが自分を客観視させる。あたまが痛い。苦しい。人が信じられない。あそこから聞こえている怨嗟の声は、幻聴か? ほんとうか? 最早わからない。頭がおかしくなっている。それは分かる。どうしたらいいかは、分からない。(10/19)

 

・・・

 

薬を変えた。

朝、布団のなかの身体があたたかい。

 

・・・

 

気がつかなかった。頭のなかでずっと喋っていた人たちが、いなくなっている。静かだ。

 

・・・

 

過去に強制送還されている時間が減った。

茶店で、ただ、ぼんやりとしている。

このような暇ができたことをありがたく思う。

少しずつ未来について考えていこう。

 

・・・

 

夜道を歩いていると、「今お時間ありますか」と、後ろから、オジサン。あるわけないだろ。オジサンとお時間で韻を踏むんじゃないよ。

 

・・・

 

あなたが引き裂いたわたしを抱きしめるのはあなただけ。

 

・・・

 

今よりずっと若い頃は、こころが寂しがっていると思っていた。けれど、そうではない。肉体がさびしい、さびしいと泣いている。そういうものなのね、とわたしのこころ。

 

・・・

 

父親は大金持ちで、女にだらしなくて、家庭を顧みない人だった。今は都内で一人、暮らしている。でも、離婚はしていない。わたしは何が正しいのか分からない。正しいものではなくて、自分が本当に納得できることを、やっていけたらいいな。

 

・・・

 

誰かを愛するのは神聖で特別なこと、そうあってほしいし、そうありたい。

 

・・・

 

幸せになりきらない感じがしてしまうんだよ。客観的に見て今は幸せだな、と、頭では分かっても、心がついてこない。むしろ、普通の人々と比べてしまって落ちこんでしまう。1歩1歩。緩やかに歩んでいくしかないのだろうな。

 

・・・

 

この歳になって、思考を放棄する重要性が存在するのだと分かった。考えても仕方のないことは考えない。お茶を飲んで身体を温めたり、ご飯を食べたり、精神を穏やかに保つためには、むしろ身体をメンテナンスする必要がある。そんなことに、気がつかないまま自分を傷つけて生きてきてしまった。少しずつ大切にしていきたい。人に大切にされる自分、自分に大切にされる自分なのだから。

 

・・・

 

加害者の画像が回ってきてクラクラする。浮気相手の写真がチラシに載っていて嗚咽する。どいつもこいつもカスばっかりだな、と思う。それを親友に話したら、『人間なんて皆クズだよ。でも、愛してしまうね』と笑って、彼女は私の背中を撫でた。私は泣くばかりだった。

 

・・・

 

正直、もう何が正しいのか分かりません。自分の正当性を主張することにも、疲れ果ててしまいました。何もかも忘れられることではなく、真実だけが重くのしかかります。パートナーにも裏切られてしまった。私は今上手く笑えているだろうか。毎日生まれ直しているような気分です。

 

・・・

 

夢ではなく現実に傷ついている。大きなフラッシュバックの後は、動揺して不安定になります。私は時折事件の時間前後に目覚め、ひどく意識が冴えます。心理学では、記念日反応というものがあります。心理的ダメージを受けた時間、日付などが近づくと、落ち込んだり暗い気持ちになってしまうのです。記念日反応における適切な行動は《知ること》と《準備すること》です。自分の身体に起こっている現象を受け止め『これは記念日反応というものであり、今の自分は守られている。自宅のベッドに横たわっていて、安全な場所にいる。』と認識し直す。恐れを感じても、大丈夫です。自分を労わって下さい。

 

・・・

 

それでも乗り越えて生きるという決意はまだあるのだから、何とか乗り越えないといけないな。頑張ろう。頑張りましょう。

 

・・・

 

久しぶりに被害をリフレインする悪夢を見た。声が耳にこびりついて離れない。何故こんなにも鮮明なのか。どうしようもなく落ち込んでしまう。しかし、しかし、今日は今日だ。紅茶を飲んで落ち着こう。

 

・・・

 

このままでいい。ほんのささやかな平穏が当たり前に続けばいい。微かに誰かの幸せが届いている。認知の歪みは、紙の上で少しずつ解れていく。『池に石を投げたら、波紋の広がりがゆっくり遠のくように、傷口が開くことも、どんどん緩やかになる』ドアの向こうから、静かなクジラの声がする。

 

・・・

 

時折、自分の人生を不思議に思いますが、多かれ少なかれ誰もが似たような感傷を抱くのでしょう。起こった事の大小に関わらず、今ある力を出せたのならば、それでいいのかもしれません。

 

・・・

 

光の方へ進んでいかなければ。暗がりがどれだけ腕を引っ張っても、この不条理を引き摺ってでも、明るい方向へ歩いていかなければ。

 

・・・

 

わたしはあなたを許します。
全て許して飲みこみます。
なかったことにして笑います。
だから世界は回ります。
明日も朝がやってきます。
とても美しいと思います。

 

・・・

 

結局のところ、内側の傷は自分の力で癒していかなければならない。他人は他人の問題で精一杯なのだから。それは、獣が孤独に傷口を舐め続けるようなもので、回復か衰弱かの運命次第である。そのような生命とのやりとりを生き延びた者のみが、エンパワーメントを獲得するのだと思う。

わたしは、回復力を充分に満たせていない者が問題提起の叫びをあげることに対して、必ずしも賛同はできない。それはリスクが高すぎるからだ。叫び声を聞いた人々は一斉に振り向き、騒ぎ、疑い、事件を消費する危険性もある。本人の傷口をより広げるだけの結末は避けなくてはならない。

個人の生命と尊厳を守りながら戦う術が、もっと増えればいい。しかし、現実はそうではない。

わたしは生きる。だから、あなたにも生きてほしい。どんな時間も、例えそれが奪われた痛みを抱えていたとしても、あなたが生きる時間は全てあなたのものだということを、どうか忘れないでください。

 

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かなしみやくるしみが、あなたのなかから消えてなくなることを願う。そして、行き場のないそれらが、どこか憩える居場所をみつけだせるといい。もうこれ以上、だれかの不完全を補うために、だれかの完全が損なわれぬように。

 

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君はいけない。とっても魅力的だが、それは君自身が空っぽな人生をドラマに仕立てあげようとしているからだ。そういう人種とは付き合えない。脇役にされてしまうのは御免だからね。いいかい。人はみんな空っぽで生まれてくるんだ。生とは、その余白を自分で埋めていく、惨めで単調な作業なんだよ。

 

「じゃあ、どうして一緒にお酒を飲んでくださるの?」


そう言うと、彼はふっつりと黙りこんでしまった。その時になってやっと、彼の言いたい"人生"とやらが、骨の髄まで伝わってきた。

 

……私、あなたのことが知りたいわ。夜の帳がやってくる時、誰と過ごしているのか。分かるのよ。あなたの目、寂しそうだもの。あなた、ワインは赤がお好き? それとも白? お料理は得意なのよ、こう見えて。ぜひ振る舞いたいわ。きっと驚くでしょうね。…………ねえ、忘れられない人はいる?

 

忘れられない人はいない。忘れられなくなる人は、ここにいる。(顔を見て)……はは。

 

そんなつまらないことを仰らないで。そんなこと不幸極まりないだけだわ。……そうよ、私は誰よりも幸せになる。あなたに覚えてもらわなくても大丈夫。……やめてよ、湿っぽい顔は。もちろん、あなたもよ。不幸だなんて、考えている時間がもったいないわ……こんなにも生きているんだもの。そう思わない?

 

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イマジナリーフレンドが増えている。少し前まで小籔千豊だった枠に、マダム・カサンドラという素敵な女性が現れた。(小藪はどちらかというと、神智学の『タルパ』に該当する。) 恐らく、わたしのなかで理不尽に対して露払いを行う役割というか、鼻で笑う人が必要なのだろう

 

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十数年前、新宿駅前に座り込んでいたルンペンのことをよく思い出す。彼は『人生の落伍者』と看板を立てて、ヒッソリと自己紹介をしていた。けれど私は、そのような語彙を持つ男が何故これ程まで草臥れて、人々から見下されているのか分からなかった。今だったら話しかけてしまうだろうにね。

 

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𝐈𝐧𝐭𝐞𝐫𝐧𝐞𝐭はつまらなくなったなあと思う。わたしが子どもの頃は、物語のちょっとした解釈を他の人はどう感じてるんだろう? と調べてみたら、論文かな? くらいの熱意と密度で感想を書きなぐってる人がたくさんいた。けれど、最近は金で雇われた空虚なライターたちの文章ばかりが浮き上がる。

 

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悲しいニュースを目撃してしまいました。どうかハラスメントに遭われた方を貶めないでください。わたしは加害者の主張だけではなく、多角的な視点から、冷静に事の推移を見守ることが大切なのではないかと考えます。語りえぬものについては、沈黙しなければならない。忘れないでありたいです。

 

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どれだけ精神がはち切れそうでも、お酒を飲まなくなったことに変化を感じる。お酒に逃げなくなった。友だちや支えてくれる人達のおかげだ。それは本当に、よかった。

 

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時々、鬼気迫るような知性を感じる人物に遭遇することがある。そういう人は大抵、朴訥とした顔をしていて、瞳だけが不思議に輝いている。だんだんと話しているうちに、その人の背後に聳え立つ本の塔が、海底火山のようにゆったりと吹き出す。その瞬間はわたしにとって、芯から震えるほどたまらない。

 

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誰かのなかから自分が薄まる感覚を、どうしても認められなかった。寂しくて悔しくて悲しくて。けれど今は、人生のたった一瞬でも、その場所に座らせてもらえたことを幸せに思う。自分のためだけの椅子を作らなきゃいけない時なのだろう。

 

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強烈な祈りと呪いが胸の奥でわだかまる。憎しみを形に変え消化するのは大切なのだと思う。何か事件が起きた時は対話や契約、金銭で解決できるならそうした方がいい。非言語の呪いほど恐ろしいものはない。私は今、人に呪いをかけている。とめようがない。もうどうしようもない。

 

自分が1番憎くてたまらない。

 

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「日記には本当のことが書けるからいい。」と指導教官によく言われていた。そのうち分かるようになる。ある程度立場や年齢を重ねていくと、「心から感じていること、思っていること」が言えなくなる。だから、1つでいいから自分の本当を語れる場所を作りなさい、と。この頃しみじみと感じる。

 

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何かしらの事件はこれまでも起きたし、これからもまた起きるでしょう。あなたはそれについて悲しみ、少しの間立ち止まって考える。でも、すぐさま次のゴシップに移ってしまう。けれど直接体験すると、すべてに対してそれまでとは違う考え方をするようになる。すべてが違ってしまう。

 

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にっちもさっちもいかず 這うように向かった診察の場で号泣してしまった 事件の話をするともうだめだ いつ話しても昨日のことのようだ 人生が狂ってしまっている 地に足がつかない 生活が成り立たない けれど生きるんだ頑張れ大丈夫だ!

 

自分のからだ自分のこころ 全部わたしのモノだ これだけが真理だ 他はすべてなにかものだ この世は借り物容れ物失せ物

 

何も信じられない 自分の存在も呼吸も笑い声も 全部嘘みたいに感じる ほとんど義務のように自分に飯を作る 植物に水をやる あとは横になっている 男の人が家に入ってくる悪夢で飛び起きる 服を脱がされている気がして身体を抱きしめる でも全部幻なのだ きっとすべて蜃気楼だ

 

指輪を外してしまった これが何を意味するのか分からないけれど今はつけていたくない どうしても ただただ諦観だけが身体を支配している 未来は明るいと思えないのだ ひどい鬱状態だと分かる 人と話してる時は明るく振る舞える 使命感のようなものだ自分の負の感覚を共有してはいけない

 

(6/14 精神科通院前夜)

 

・・・

 

 

 

どこまでも神秘的な

 

不思議な夢を見た。

わたしは寂れたアパートの一室に住んでいた。恐らく20代前半に過ごした、ガタガタと、忙しなく鉄道の音がする部屋だった。

 

隣の部屋から男がやってきて、無作法に犯された。わたしは『ああ』と思った。今度は失敗したくない。流れ作業のように、やるべきことを考えた。

男は何やら自分を慰める言葉を幾つか吐きながら、お礼をして帰っていった。腹に乗った冷たい精液を拭き取り、それを持って警察に行った。

一畳ほどの取調室。サエキと名乗った婦人警官は、「これでは証拠にならないね。」と、笑った。

「あなたにも落ち度はあったよね。」

「そうですね。わたしが悪いです。」

穏やかに話し合い、警察署を出た。

 

わたしの生業は、神様の住むマンションを清掃することだった。誰の目にもとまらない、ちんけな仕事だ。煌びやかな部屋、配置の決まった札の場所、かけるべきレコード。神様の機嫌を損ねないことが、わたしの唯一の役割だった。

 

ジクジクと痛む子宮が悲鳴をあげていた。

わたしは黙って血を流した。

間に合わせで下着に詰めたトイレットペーパーが、理不尽な重みをもっている。

けれど、一言も発さずにいた。

 

一際薄汚れた、打ち捨てられたような角の部屋を整えている最中だった。

「悔しい?」と、声をかけられた。

振り返ると井戸があった。

暗闇の底から、なにかが話しかけていた。

"神様とは口をきいてはいけないよ"

誰かから放たれた言葉が、一瞬よぎった。

 

「私が食べてあげるから。」

 

その存在は、たくさんの黒いまなざしを向けていた。

寂しそうだ、と思った。

 

「お願い。」

 

祈り。自分から、青く涙のようなものを感じた。

影のなかで、それはニッコリ笑った。(ように見えた。)

 

握りしめすぎて、クシャクシャになった小さなティッシュを、黒い指先が大事そうに救いあげて、言った。

 

「いつかあなたが私に施した、×××のお礼をするからね。どんなことが起こっても、それは私が食べてしまうから。あなたは、」

 

そうして、また部屋は静けさを取り戻した。

 

一人、心臓がバクバク動いた。とんでもないことをしてしまったと思った。

 

「起きて。」

 

 

 

目を覚ますと、耳までグッショリと濡れていた。

わたしはまた孤独に横たわっていた。

あれはきっと、呪いの一種だった。

彼の者が最後にくれた詩的な響きが、いつまでも、いつまでも耳に残っていた。

 

 

そうして、わたしが感じていた正体不明の罪悪感は、どこにもなくなっていたのだった。

 

better late than never!(「永遠にやらないよりは遅れてでもやった方がまだ良し!」)

 

 

『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。』を、読んだ。

 

多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。 (サンクチュアリ出版) | Jam, 名越康文 |本 | 通販 | Amazon

 

結果として、タイトル以上の感動はなかった。この言葉に出会った時の衝撃と、腑にズドーンと落ちる感覚は忘れられない。同じような過敏さで世界と戦う人の存在は救われる気がする。どんな出来事も忘れられるのが人間の偉大さであり、愚かしさでもある。それが自然であるべきだ。他人の在り方をどう考えても仕方がない。

自分が何をすべきか、どうあればよいのか。この半年間悩み続けた。未だに答えはでない。自分のこころに従うべきなのだろうが、そのこころが混乱して言うことを聞かない。

行動を起こすべきなのか。それとも、辛いことに蓋をして生きていくべきなのか。

と、何かあった人は考えるだろう。これは実は防衛機制の力でもある。人がなにか大きいショックを受けた時、この機能が働きだす。わたしは精神保健を履修した際に知った。なので、混乱時の自分がどの防衛機制を行っているか、瞬時に考える癖がついた。これは役に立つので、ご紹介したい。詳しくは以下より引用させてもらう。

防衛機制とは・・・
防衛機制(ぼうえいきせい、defense mechanism)とは、危険や困難に直面した場合、受け入れがたい苦痛・状況にさらされた場合に、それによる不安や体験を減弱させるために無意識に作用する心理的なメカニズムのことである。通常は単独ではなく、複数の要因が関連して作用する。

■抑圧
欲求不満や不安を無意識に抑え込んで忘れてしまおうとする。
■合理化
最もらしい理屈や理由をつけて正当化しようとする。
例)仕事の失敗を、無理やり押し付けた上司のせいにする。
■同一視
他人の長所や能力・実績をまねして自己評価を高めようとする。
例)有名人の服装や言動を真似る。
■投影(投射)
自分の後ろめたい感情や衝動を他人のものとして非難する。
例)自分が嫌っているのに、相手が自分のことを嫌っていると思い込む。
■反動形成
抑圧されている感情や態度が、正反対の行動として表れる。
例)相手に好意を抱いているのに、悟られないために素っ気ない態度をとる。
■逃避
困難な状況から逃れようとする。状況から逃避する場を設ける。
例)試験前に大掃除をする(現実への逃避)。
  試験前に高熱や腹痛を訴える(病気への逃避)。
  試験前に将来の夢や試験後のことを想像する(空想への逃避)。
■退行
幼児期など、現時点の発達の前段階に逆戻りする。
例)赤ん坊のようにふるまって他人の気を引こうとする。
■代償
ほかの欲求に置き換えて満足しようとする。
例)勉強ができないからスポーツで活躍する。
■昇華
社会的に承認されない欲求を文化的・社会的に望ましい価値あるものへ置き換える。
例)失恋を機に勉学に励む。

防衛機制 | 看護師の用語辞典 | 看護roo![カンゴルー]

 

当初わたしは、合理化→抑圧のプロセスを踏んでいた。おそらく現在は、逃避を経て代償や昇華の段階にあると考えるのが相応しい。また、カウンセラーにスキーマ療法を勧められ、自分の過去と向き合う作業を淡々と行っている。目に見えて症状が回復したとは言い難いが、これらの知識と訓練は、少しの生きやすさを生み出してくれた。思考停止するしかなかった過去と比べれば、幾分かレジリエンスを獲得した自分がいる。知恵は美しい鋼鉄の盾である。

 

 

さて、冒頭の話題に立ち返る。『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。』を読み、わたしが思ったことはたった一つだ。「なぜ被害者が知的/肉体的労力をかけ、こころの傷を治している間に、そいつ、パフェ食ってんの?」である。理不尽以外の何物でもない。しかし、それがどうやら人生というものらしい。いじめをした人間が全員捕まるわけではない。その多くはのうのうと生き、粛々と税金を納め、くだらない日々を笑ったり泣いたりして過ごしているのだ。

 

もう私はうんざりだ。

 

うんざりしたところで、夜毎の悪夢も強烈な不安感もどこにいくわけでもないのだが。

 

先日、宇多田ヒカルのブログを読んでいたら「better late than never!(「永遠にやらないよりは遅れてでもやった方がまだ良し!」)」と書いてあった。なんだか勇気をもらえる気がした。少なくとも、わたしは今、文字を打って、生きようとしている。どんな事があったのか明確に記せない。ただ黙々と、ひたすら闘病を続けている。それで精一杯の現状がある。ただ、身体のなかで蠱毒のように高まる毒性が、わたしを蛇のような人間にしていることは否めない。いつかこの憎しみがまさに鎌首をもたげ、行動を起こす時が来るのかもしれない。あなたはパフェを食べていればいい。わたしは戦い続ける。どのような形であれ、永遠にやらないよりは、遅れてでもやった方がまだ良し、なのだから。