NARRATIVE

闘病日記と化した雑記です。

複雑

 

 

人間はもっといろんな表情があるはずなのに、SNSには同じような表情、角度、無感動な顔ばかりが並んでいる。「可愛い」という概念が固定化されてきたのかもしれない。これは携帯の普及で、概念が波及するのが加速度的に早まっているからなのではないか。世界中の人々の共通認識は統合されつつある。恐ろしい。

だから(このだからは論理的ではないがこの文章は垂れ流しなので文法は気にしない)、私は最近思う。

容姿が優れているということが、なんの意味もなさない時代が必ず到来する。

なせなら、容姿の美しさ、人間が美しいと感じる造形は、「数値化」できるものだからだ。黄金比率はもう既に存在している。問題は技術がそれに追いついていなかっただけであり、やがて世界は、整形手術が当たり前になるだろう。需要はどんどん増していき、市場も安価になり、就職活動のために整形、卒業記念に整形、うむ。見える。

 

ではこれからの世界で真に美しくあるためにはどうしたらいいのか?

 

それは、やはり統計学との戦いになる。

数値化されないものを大事にしよう。

私はシンギュラリティは信じていない。機械が人の心を持つことはないと固く信じている。しかし、「人の心が機械になる」ことは、必ず起こり得る。物言わぬ思考せぬ有機物になるな。それは無機物と同義だ。オリジナリティを持つのだ。数字に騙されるな。ある種あれは宗教みたいなものなのだから。