NARRATIVE

闘病日記と化した雑記です。

日記 7/29-30

 

 

7月が終わる。怒涛だった。

感情ジェットコースターのわたしには、穏やかな月などない。けれど、それにしたって今年の7月は濃厚だった。いろんな事が辛く思われて、散々酔いつぶれた。物理的な喪失では、携帯を水没させたのと、稽古前に車を電柱にぶつけたのが最悪だったな。精神的には、ここでは言えない。失ったものが多い初夏だった。

しかし、得たものも同じくらい多い。

 

8月はいつも革命が起きる。

いや、革命を起こすという表現の方が正しいのか。

 

去年のちょうど今頃には「飛龍伝」の稽古が大詰めを迎えていた。何者でもない小娘3人で構成された演劇集団ごっこについてきてくださったみなさまには、どれほど言葉を尽くしてもしたりないほどの感謝がある。あれほどの熱量の作品、それも力のないわたしたちが舵取りをする船に乗ること。わたしだったら怖くてしょうがない。実際、気苦労ばかりおかけしてしまった。今でも当時の自分の至らなさを心苦しく思う。

 

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(疲れ果て帰り支度をする人々 2019/08/10)

 

まさか、あの頃は、世界がこんなことになるなんて考えもしなかった。というか、私の場合はまさか自分が生きているとは思ってなかった。今こうやって文章を打っている事実が不思議だ。来週には板の上にいる。といいな。

 

あの頃聞いていた音楽はどんなもんだったのか。

よく覚えていない。たぶん、女王蜂を聞いていたような気がする。あとは、サカナクションかな。攻殻機動隊にはまっていたんだっけな。

ただ、音楽に関していえば本番前にはジンクスみたいなものがある。客入れ中に藍坊主の「ジムノペディック」、椿屋四重奏の「シンデレラ」を聞くのだ(実は今も聞いている) 。元劇団員の山内は、藍坊主がとても好きだった。楽屋の左側の席にいる彼女と、幕開けするまで同じ曲が表示されたiPhoneの画面を見せあって、笑い合った記憶がある。そんなわたしの右側で岡田先輩がずっとパワプロをやっていて、畏敬の念を抱いていたな。

 

今は、Frank oceanばかり聞いているよ。

また洋楽の波がきている。

Billie Eilishの「ocean eyes」もよく聞く。

 

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(Billie Eilish「ocean eyes」Single表紙)

 

 

忘れていた。これは日記だ。

ここ2日間、精一杯演劇に関わり、敬愛する人に会ったりしていた。久しぶりに会ったが、実に晴れやかな顔をしていて嬉しかった。なにかを成し遂げてきた人の表情はいい。元気をもらえる。しかし、それにしたってひどくご機嫌な様子で笑ってしまった。尊敬する人が自分らしく輝いている姿を見るのは、なんて喜ばしいことなのだろう。大変に誇らしかった。健やかにあれ。

 

そして、稽古中に殺陣の振りつけを担当する劇団員のおはぎが、最終チェックに顔を出した。彼女が空間にいるだけで、じーんときた。存在の有り難さをしみじみ感じてしまった。こころの拠り所、居場所があるというのは何にも代えがたい喜びだ。大切にしよう。

 

それは常に感じていることだけれども、人はほんとうに、味方がいるという状況でなくては、本来のポテンシャルをだせないものだと考えている。

これにはエビデンスがある。

発達心理学では、「安全基地」という言葉がある。これは要するに、自分は母親から愛され見守られているという自信が子どもを輝かせるのだという理論だ。

子どもは安心感があれば、好奇心を存分に発揮し、どこまでも冒険に出かけることが出来る。そして、怖くなったらいつでも、母親の元へ帰ることのできる信頼関係を構築するのが、とても大切なのだ、というものだ。

 

(この話は長くなりそうなので、私の下手な解説よりも、以下の茂木先生の語りによって補填させていただく https://president.jp/articles/amp/24861?page=1 )

 

 

これは発達心理学の知見であるけれども、子どもであれ大人であれ、この理論は適用されるような気がしてならない。

わたしは自分の在り方として、なによりこれを大切にしている。周囲の人々に対して、否定的ではなく、肯定的でありたい。そういう安全基地として機能してありたいと思う。わたしが常々そうしてもらっているように。

 

 

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演劇よ。

わたしはあなたに関して、

「物作り」という表現を使うのをやめにする。

あなたと一緒にいるのはつくづく「罪作り」だ。

 

だから、あなたと必死になにかすることの一切の苦しみ/悲しみ/妬み嫉み/愛憎といったものを、もうわたしはニヤニヤしながら、悪巧みするように、背徳感に惚けながら、伊達と酔狂をもって、やり遂げようと思うよ。

 

思うところなんて、そりゃたくさんある。

それでも、わたしは今、罪作りをしているのだから。

全て受け止めて、来週の稽古、本番に挑もうと思う。

 

気が触れるまで一緒にいよう。

演劇、わたしが愛しているのはあなただけだ。

あなたの気が済むまで、自己を捧げる。尽くす。

それは例え隕石が落ちようと変わらない。

パンデミックが起こっている世界であっても。

いつだって求められているのは、剥き出しのBESTだ。

 

 

 

 

 

そして人生は続く。

 

2020/07/30 御法川わちこ