NARRATIVE

闘病日記と化した雑記です。

2020/7/18

 

 

今日は、低気圧のせいでクソみたいな朝だった。目は開かないし、ぼんやりと、二度寝三度寝を繰り返した。寝起きに「目つき悪いね」と笑われて、なんだコイツ、と思いながら稽古に行った。どうにも身体が起き上がらないので、駅までの長い道のりを歩くことを選んだ。

 

私の生息地から、稽古場はとても遠い。だいたい、2時間ほどかかる。電車でどう過ごすかを毎回悩むほどだ。よし。今日は映画だ、とAmazonプライムを開いて、「ムーンライト」を見ようと思った。最近、A24の手がける作品を見る機会が頻繁にあったせいだろう。

でも、その前にLINEを返さなきゃ、と、するすると親指が動いた。

 

そこで、「三浦春馬」の訃報を見た。

その時は、まだ、「三」の次に、「浦」がきて、「春」の後に「馬」で終わる文字列でしかなかった。たぶん、フェイクニュースだと思った。でも、どんどんコメントが増えていって、たくさんの人が悲しんでいた。どんどん、どんどん、押し寄せてくる悲しみに、

 

私は1度画面を閉じた。

 

今日の稽古は、衣装合わせもあって、本番3週間前でとても大切な時期なのだ。私情を挟む余地はない。切り替えなければ。

 

その後はひたすらにSiaの「chandelier」を聴いていた。とても好きだ。彼女の人生経験、そしてそれに裏打ちされた感性に、私は勝手に共感する。そして同時に、生きていてくれてありがとう。生きるという選択をし続けてくれてありがとう。と、素直に思える1人でもある。

 

f:id:apricot_ume:20200719003727j:image

 

私は、この世には、時の流れにすら耐えられない脆弱な魂があると思っていて、その優しくも温かい産毛のような魂たちは、しばしば唐突に消えてしまう。それを回避する方法は、たぶん、ないのかもしれない。きっと、その結末まで遠回りすること/させることはできる。その程度の干渉は、きっと。(考えてみれば、人生は誰にとっても、その遠回りの連続だ)

けれども、その(我々にとっての)最悪の選択は、最終的に誰の責任でもない。止められるものではない。そのような魂だったのだと思うしかない。我々に生き続ける気があるのならば。誰かにとってのBADENDは、誰かにとってのHAPPYENDの可能性だってあるのだから。

 

なんでこんな言い聞かせるように書いているかというと、再確認しなければならないからだ。自分にとって強い影響をもつ人の選んだ選択肢は、時として免罪符のように映る。例えそれが、実際には会ったことのない人でも。

 

あらゆる出来事には理由がある。だから、そうならなければならない理由があったのだと、思う。

 

まだ言葉がまとまらない。軽率かもしれない。それでも、今は今思ったことを書く。人の死について扱う作品に、これからも私は関わっていかなければならない。それは、こういうことだ。こういう現実と向き合うことだ。これが現実だ。死は、センセーショナルなのだ。

なんということだ。

 

 

吐き気を我慢しながら稽古を終えた。

稽古終わりに、何度かその話題になった。まるでドラマの考察のように、つらつらと語る自分がいて、すごく嫌になった。私のほんとうに軽い魂。

 

f:id:apricot_ume:20200719010501j:image

 

帰りに、今の現場の主宰のキャンディ江口さんが、仕事で麦酒の差し入れがあったからわちこにあげるよ、と、1缶渡してくれた。心の底から嬉しかった。私のいない場所で、こんな私を思いやってくれたのだ。そういう事実は、どんな人からの施しでも、いちいち嬉しい。泣きそうになったが、泣いたらキモイから笑った。

ずっとずっとずっとヘラヘラしていた。

 

 

慌てて終電に飛び乗った。

ぼんやりしていたら乗り換えを間違えそうになった。

相変わらず1つの曲だけを流し続ける精密機械と化したiPhoneに、ひとつのLINEが届いた。

親友からだった。

不思議なくらい久しぶりの連絡だった。なにか察したように、自然な流れで不幸話になった。そして、私も嘘みたいに思っていることを素直に話せた。

彼女は、最後に、8月の舞台は見に行くよ、と言ってくれた。コロナを気にする私に、「どうせ、水商売やってるから」と。

思うところがあったのだろう。 

舞台というものに、その時生きている人間が立つ。そんな当たり前の奇跡。

画面越しに彼女の笑顔が透けて見えて、温かさに触れて、ずっと堪えていたのに嗚咽しながら帰った。

 

 

f:id:apricot_ume:20200719012248j:image

 

92歳のパリジェンヌ。

今だからこそ、見直したい。

 

他人の考え、他人の思い、

他人の感受性、他人の想像力

 

そういうものを、もっともっと大切にしていきたい。かける言葉の一つ一つに、心を砕いて生きていける自分になりたい。こういうことがあるたびに、見つめなおす。何度も何度も思い知る。傷ついている脆い魂の存在。

 

 

 

 

 

 

夜道を歩きながら、ふと。

懐かしい台詞を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「生きていかなければ……。

生きていかなければねえ」

「もうじき冬が来て、雪がつもるだろうけど、

あたし働くわ。働くわ。」

「あれを聞いていると、もう少ししたら、なんのためにわたしたちが生きているのか、なんのために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。……それがわかったら、それがわかったらね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして人生は続く。

 

2020/07/18 御法川わちこ