はじめての幻聴
悪夢から目が覚めても、その夢の声が続いていた。
恐怖を感じた時は、すぐに調べて仮説を立てるようにしている。おそらく、これは幻聴と呼ばれるものである。インターネット曰く、よく見られる症状らしい。少し安心した。ありがとうインターネット。
動悸がとまらない。
わたしは、あの日受けた傷に加えて、後日さまざまな人から語られた言葉にも、はげしく傷ついたのだと理解した。彼らの声が聞こえてしまったのだから。
やはり二次被害というものは、痛い。
自分から透明な血も流れていたことを、どうやって伝えられたらよかったのだろう。こころの傷は、目に見えないから、正確に伝えることが難しい。自分の言語化能力の拙さが悪い。
わたしが悪い。
わたしは怒りの行き場がないのだ。
夢のなかで責める声には、自分が混じっていた。
「どうして復讐しないのか」
そう言われても、戦う体力がない。
あの出来事を語りなおす必要がある。
それが心底恐ろしい。
それは、いけないことなのだろうか。
この前、子どもたちがダンゴムシを手渡してくれた。
あの感触。あの優しさ。あの光。
生命を手のひらで大事にしまい込む、慈愛の眼差し。
わたしは本当に、あの子たちの瞳に救われているのだ。
それを思い出して、もう少し眠る。
眠らなくては。
眠りはあらゆる傷を癒すのだろうか?
傷ついた時は、なかったことになるまで眠る。
これが私の処世術だった。
そうすることで、大概の傷は眠りの向こう側で癒えた。
多い日は18時間も眠ってしまうことがあった。
母からは、仮死状態のようだと言われた。
眠りは神秘的だ。
皮膚も、病も、目が覚めると変化している。
眠っている間、魂はどこか遠い世界に運ばれているのかもしれない。夢のなかで別の物語を生きることで、現実の代替としているのだろうか?
ユングに思いを馳せる。
神聖な夢。
その神秘をもってしても。
この傷だけが、どうしても治らない。
追ってくる。
夢が侵される。
中途覚醒が止まらなくなった。
傷が癒えないから、他人を信じられない。
新しい一日が始まらない。
サナギは殻の中で溶解する。
それが生まれ変わるために必要なのだとしたら、わたしの内側が瓦解するようなこの苦しみも、必要なことなのだろうか。すべてが過ぎ去ったあと、また新しく生きてゆけるのだろうか。
だめだ。
もう少し眠ろう。
■
わたしは自分の言葉に救われている。
だからわたしは生きる価値がある。
おわり。
海のそばで生きる。
自傷行為というものを考える。
自らを、自らによって傷つける人は、このように主張する。
『傷を目撃することで、生きている実感がある。』
わたしは自傷行為をしたことがない。
正確にはできなかった。勇気がないから。
中学生のころ、カッターで薄く手首を切りつけてみたが、出血するほどの傷はつけることができなかった。ただ白く肌が伸びただけだった。
では、わたしはどのように自分の傷を目視しているのだろう。
ふと思った。
わたしは恐らく、自分の内的言語を形にすることで、傷を可視化してきた。
なにか傷ついたときは、いつもそのまま活写した。
丁寧に自分を抉った。
慎重に自分を殺した。
冷静に自分を罵った。
そして、その言葉は自分を癒した。
傷を愛することはできるか。
知る由もない。
けれど、この文章もまた、何らかのセラピーなのだと思う。
言葉に苦しめられ、言葉に救われる。
この繰り返しなのかもしれない。
けれど、やはり。
散り散りになった、わたしの言葉が、戻ってこない。
それが本当に悲しく、悔しく、やり切れない。
(2022.05.11)
*
当然のように眠れない。
朝日がひたすらに美しい。
カウンセラーに、イマジナリーフレンドの話をした。
今まで誰にも話したことがなかったのに、不思議に思う。
言葉にできないことが起きて、言葉にできることが増えた。
そういう側面もあるってだけだ。
人が人を殺めたら、その事実だけが永遠と残る。
殺めても、犯しても、騙しても、貶めても。
そこにあるのは、ただの結果だ。
奪われたものは、向こうにいったまま、かえらない。
それなのに。
他人がその事実を納得のいく形になるまで装飾する。
もしくは、お墓と一緒に寝かしつける。
この世は鰾膠もない。
ほんとうの悲鳴は、なめらかな嘘に負ける。
それだけだ。いつもそれだけ。
死人に口なし。
死んだこころからも、言葉は生まれてこない。
あなたはよくやったよ。
わたしの生命の欠片を、あの部屋に赤く氷付けにした。
それは間違いなく、あなたのものだ。
しかし、魂は体液のなかにあるのだろうか?
答えは明確に、Noだ。
演劇に関わっていた時はいつも。
柔らかな部分をさらけだせますように、と願っていた。
けれど、人生の方がずっとずっと強引だね。
だからこそ虚構に守られていたかったんだ。
もう今は叶わない。
手を。
差し伸べられることを恐れた。
だからもう、ダメなのだ。
おそらく私は、私自身を許せないのだ。
その事が分かって、しばし泣いた。
ここのところ、毎日涙が出る。
もしかしたら感動しているのかもしれない。
生きている。
平然と。
私が解離している間、私はどこにいるんだ?
血はいつか止まる。
或いは、最後の一滴まで出ていってしまう。
どちらが先か、今は分からない。
波紋が、段々と小さく、遠く消えていくように。
トラウマは癒える。
時折揺り戻しながら、螺旋模様を描きながら。
そう語った、あなたの言葉を信じる。
わたしはわたしの傷と戦っている。
その間、わたしは嫋やかに孤独だ。
(2022.6.27)
*
見ていられない作品が増えた。
そこに蔓延る理不尽や悪意に、容易く打ちのめされる。
現実と架空の区別もつかない。
今はただ歯向かう気力もなく、目を逸らすことしか出来ない。
過去が液晶の向こうから、やってきてしまう。
・ ・ ・
私のなかには星がある。
きっと、あなたのなかにも、あるのだと考えている。
胸に耳を当てると、間違いなく声がする。
毎日星の生まれる音がしている。
ああ。と、なる。
涙が出る。
毎日、死のう、が、死ななくてよかった。と、なる。
だからあなたが必要なのだ。
縋っている生命維持装置の、動力にすらなれない。
わたしの存在は、差し迫った必要もないのに。
弱い。
・ ・ ・
わたしはずっと、海のそばで生きてきた。
これからもそうなのだろう。
さざめきの沸き立つ音を聞く。
そのなかに、数多の悲鳴がある。
そして、安らかなる夜がある。
海のそばで生きる人はね。
不思議と懐かしい目をもってるんだよ。
そう話した君の横顔を思い出した。
わたしはずっと、そんな目をしていられるかな。
海のそばで。
水の流れる音を聞いている。
こころに澱んだどす黒い血が、さらわれていく。
汚れを砂で落として、裸足で歩くしかないのだ。
硝子で皮膚が裂かれても。
絆創膏は、あなたが持ってくれている。
生命を、細く、細く、つなぐような日々。
眠ろう。
・ ・ ・
最近、ひとつだけ夢ができた。
もしもこの精神が落ち着いて。
人間としての自信を取り戻して。
生きていけると思えるようになったら。
児童文学を書きたい。
夢ではないな。
これは祈りだった。
(2022.07.23)
■
血が吹きだす。
記憶の断片から。
文字の先っぽから。
そして、あの朝がやってくる。
何度でも繰り返し訪れる。
たったひとつの言葉によって蘇る。
誰か止めてくれないだろうか。
誰が止められるのだろうか。
強烈な、あまりにも強烈な吐き気。
自分の身体が、股から鼻にかけて、
ゆっくりゆっくり引き割かれていくような。
過去はすべて夢になった。
そしてまた、朝、朝、朝。
今を生きられない。
精一杯、の言葉の形が、今はっきり見える。
だから、こころに満ちたこの血を、どこかにやらねば。
『睡眠は血管なのだ』と、夢のなかで君は言った。
4月の雑記
今日はずっと原田真二の『タイム・トラベル』を聞いている。
おそらく、六時半の段階で、約三十回目のタイム・トラベルだ。
うつくしい、耳触りのいい音と言葉を求めている。
あまりにも疲れたので、自分の文章のなかで呼吸をしたく思う。
こんなものに意味はない。
・ ・ ・
ぜんぶ分からない、は怖い。
ちょっとだけ分からないから、安心する。
・ ・ ・
だれかがあなたに、死ねというのなら。
わたしがあなたに、生きてといいたい。
目の前のあなたに生きていてほしい。
こんな陳腐で、けれど切実な思いを抱いたのは、おそらく高校生の頃。
リストカットをして、見せてくる友人がいた。
過干渉な家庭で育った彼女はいつも追い詰められていた。
そして、それ以上に自分で自分を追い詰めていた。
わたしは目を逸らし続けた。
彼女の血から。叫びから。ぽたぽたという水音から。
それをずっと許せないままでいる。
やめてくれと言いたかった。
数年後に再会した彼女は、「もうメンヘラはやめたよ」と朗らかに笑っていた。
猫のいる家があり、同棲している相手がいると言っていた。
あの頃の傷はすっかり薄くなっていた。
青白い膜のような肌のうえに、それよりも純白な横線が流れている。
ヌワラエリアという奇妙な名前の紅茶を注がれたカップですっかり温まった手。
生きて会えた、と思った。
だれかを助けられるとは思わない。
そんな人間じゃない。わたしは。
けれど、あの時、彼女には傷を見せられる相手がいた。
「それが何よりありがたかった。あの時はごめんね。」
そう言って見つめてきた彼女の目には、当時の影はなかった。
この文章は嘘だ。
彼女が高校を中退して以来、連絡はとれていない。
今どこで何をしているのかもわからない。
もしもこの文章を見ているのなら、聞きたいことがある。
あの時のわたしは、どんな顔をしていたの?
・ ・ ・
ホテルを出る前に布団を剥がしてみたら、そこは殺人現場みたいに人型の血まみれだった。わたしの眠っていた場所。
はて。これは何だろう。
とりかえしのつかないもの。
が、そこにあった。
あるいは、わたしはこのベッドで、わたしのなかの何かを殺したのだ。
もしくは殺されたのかもしれない。
聖域のように守っていたのに。
わたしの誇りそのものだったのに。
断末魔も聞こえなかった。
きっとだれも悪くない。
ただ、起こってしまった。
それだけなのだ。
これからどんな顔をして生きていくんだろうな。
過去から自分がせせら笑っている。
『おまえが蔑ろにしてきたすべてが、おまえを置き去りにして帰る』 ケラケラケラ。
だからつまり、わたしは死んだのだ。
死んでしまった。
わたしは、透明な自分の死体を引き摺って生きていくということになる。ずるずる。抜け殻のような空虚。
ケダモノのような自分の、たった唯一静謐だった場所は、いまや血に汚れて見る影もない。
奪われたという感覚は正しくないな。
それはやはり、わたしの責任だった。
・ ・ ・
校長先生から調子はどうだと話しかけられて、じぶんの不眠症について滔々と語ってしまった。
すると、先生のほうも慎重な顔つきをしながら、娘さんの話を始めた。
彼はわたしと似た症状の娘さんを『精神障がい者』と一括りにして、わたしの辛さがわかると。『かわいそう』だと言った。
「わたしって、かわいそうなの?」
わたしのなかの幼い部分がそう聞いてきた。
そうかもしれないね、と答えてみた。
ふうん、とこぼして、わたしはいなくなった。
かわいそうなのは誰だろう。
誰なんだろうね。
2022/04/18
『いのり』について
マグカルシアター参加作品
ヒカル×劇団天の河神社 合同公演
「いのり」「静寂の街を抱きしめて」
無事、終演しました。
自分にとって、かけがえのないものを生み出せました。誰一人代替不可能です。代わりはいません。
『いのり』という作品について、鈴木さんの素敵な撮影による舞台写真とともに、振り返りたいと思います。
エグチ(左)、タツキ(右)
神によって日々寄越されるシイナの偽物に怯えている
今、月の絵はわたしの部屋にありますが、ほんとうに優しく輝いています。生きていくための力をもらってます。
シイナは神の子である 月の絵を描くことで人々に眠りを授ける
ここから先の人生、この公演で培ったものや縁というものが、永遠に寄り添ってくれるような気がします。
こころ優しい青年タナベ
眠りを奪われたことにより正気を失っている
なにより、本職は画家でありヒロインを演じてくれた雨奥詩奈には感謝してもしきれない。二人で話した哲学や芸術、人生に対する独特な世界観は、作品に深いインスピレーションを与えてくれました。
研究員ジュンはギターの音色で自分を宥めている
月の絵が見ている夢のなかでシイナと再会する
自分が独特な生き物であることを、同じ立場から共感して、肯定してくれた人は初めてだった。
地上に顕現した際は記憶を失っていたシイナ
人々との交流を経て、失われていた過去を思いだす
自分のなかで聖域のように絵画を愛して生きてきたこと、この為にあったのだと思えるほど。心底よかった。
世界を救うため、エグチはシイナの絵を求める
希望を失った世界に力強く言葉を投げかける
そして、この作品を共に生み出せたことで、わたしのなかにある仄暗い、救いようのない孤独が、少しだけ癒されました。愛してくれてありがとう。
タツキは世界救済の手立てであるシイナを愛してしまう
彼女の能力を必要とする世界と、
彼女そのものを必要とする自分との間で葛藤する
自分の内面をうまく言葉にできなかったり、理解されにくい人間に生まれたこと。ほんとうに悲しくて、いつも辛くて寂しかった。けれど、この作品が過去から未来を照らしてくれるから、わたしは生きていける気がする。
おかしくなったタナベを抱きしめるジュン
狂った世界でも支えあい生きていくことを選ぶ
関係者の皆さまには感謝してもしきれません。
いつもお世話になっている音響の鷹取さんの献身と、新鮮で敏感な感性によって作品を彩ってくれた照明の天野さん。温かな人柄で公演を支えてくれた伏見さん。素晴らしいスタッフの支えがなくては、本公演は成り立ちませんでした。ありがとうございます。
そして、この公演から、しばし活動休止する相棒の秋野おはぎ。どんな状況にあっても、わたしはあなたの味方だし、幸せであることを祈ってる。わたしは生きて演劇を続けるから。横浜にいるね。ゆっくり休んで。今までほんとうにありがとう。
こころを重ねあうタツキとシイナ
つかの間の安らぎをえるシーン
キャストの皆さまにはなんと言えばいいのか。
まったく足りませんが、少しだけ言葉にします。
エグチ役、キャンディ江口さん
江口さんは本作品のために、深夜にわたって作品の構築から磨きあげまで付き合ってくださいました。その他の言い尽くせないほど献身的な支えに、演劇を愛する人間のあり方を学びました。ちなみに、ラストナンバーのSigur Rósは江口さんの御提案です。素晴らしい音響センス。そして、怪演と言ってもよいほど驚異的な演技は、この作品の支柱でした。
タツキ役、樹廉次郎
樹廉次郎さんは、この公演に誰よりも早く参加を表明してくれました。また、作品のために6キロの減量と肉体改造を行いました。感動的です。美しい俳優。わたしは、彼の誰よりも繊細で的確なお芝居を愛してやみません。ほんとうに。わたしの作品の主演は樹廉次郎しかいないかもしれない。必ず、またやりましょう。
ジュン役、小早川諄さん
小早川諄さんは、触れたことのない芝居に食らいついて、最後まで悩みぬいて取り組んでくれました。最初は音も出せなかったギターが、幕があくと綺麗に鳴り響いていて、感動したのを覚えています。彼の成長はすさまじく、稽古初日とは科白のはきだし方がまったく違います。誰よりも吸収力の高い俳優でした。
タナベ役、田邊洋介さん
田邊洋介さんは、自分が美しい人間であることを自覚していない無垢な部分を持ち合わせています。その側面が、今回の作品で素敵に浮かび上がってきたのではないかと考えています。狂気に染まった表情が誰よりも魅力的でした。いつも周りに気を配って、穏やかなムードメーカーとして存在してくれました。
皆さま、ほんとうにありがとうございます。
もう一度世界を愛するため顕現するシイナ
未練はありません。
この作品から、未来へ進んでいきます。
ありがとうございました。
二枚の月の絵 サブタイトルは「母」
この作品を、最愛の二人に捧げます。
御法川わちこ