海のそばで生きる。
自傷行為というものを考える。
自らを、自らによって傷つける人は、このように主張する。
『傷を目撃することで、生きている実感がある。』
わたしは自傷行為をしたことがない。
正確にはできなかった。勇気がないから。
中学生のころ、カッターで薄く手首を切りつけてみたが、出血するほどの傷はつけることができなかった。ただ白く肌が伸びただけだった。
では、わたしはどのように自分の傷を目視しているのだろう。
ふと思った。
わたしは恐らく、自分の内的言語を形にすることで、傷を可視化してきた。
なにか傷ついたときは、いつもそのまま活写した。
丁寧に自分を抉った。
慎重に自分を殺した。
冷静に自分を罵った。
そして、その言葉は自分を癒した。
傷を愛することはできるか。
知る由もない。
けれど、この文章もまた、何らかのセラピーなのだと思う。
言葉に苦しめられ、言葉に救われる。
この繰り返しなのかもしれない。
けれど、やはり。
散り散りになった、わたしの言葉が、戻ってこない。
それが本当に悲しく、悔しく、やり切れない。
(2022.05.11)
*
当然のように眠れない。
朝日がひたすらに美しい。
カウンセラーに、イマジナリーフレンドの話をした。
今まで誰にも話したことがなかったのに、不思議に思う。
言葉にできないことが起きて、言葉にできることが増えた。
そういう側面もあるってだけだ。
人が人を殺めたら、その事実だけが永遠と残る。
殺めても、犯しても、騙しても、貶めても。
そこにあるのは、ただの結果だ。
奪われたものは、向こうにいったまま、かえらない。
それなのに。
他人がその事実を納得のいく形になるまで装飾する。
もしくは、お墓と一緒に寝かしつける。
この世は鰾膠もない。
ほんとうの悲鳴は、なめらかな嘘に負ける。
それだけだ。いつもそれだけ。
死人に口なし。
死んだこころからも、言葉は生まれてこない。
あなたはよくやったよ。
わたしの生命の欠片を、あの部屋に赤く氷付けにした。
それは間違いなく、あなたのものだ。
しかし、魂は体液のなかにあるのだろうか?
答えは明確に、Noだ。
演劇に関わっていた時はいつも。
柔らかな部分をさらけだせますように、と願っていた。
けれど、人生の方がずっとずっと強引だね。
だからこそ虚構に守られていたかったんだ。
もう今は叶わない。
手を。
差し伸べられることを恐れた。
だからもう、ダメなのだ。
おそらく私は、私自身を許せないのだ。
その事が分かって、しばし泣いた。
ここのところ、毎日涙が出る。
もしかしたら感動しているのかもしれない。
生きている。
平然と。
私が解離している間、私はどこにいるんだ?
血はいつか止まる。
或いは、最後の一滴まで出ていってしまう。
どちらが先か、今は分からない。
波紋が、段々と小さく、遠く消えていくように。
トラウマは癒える。
時折揺り戻しながら、螺旋模様を描きながら。
そう語った、あなたの言葉を信じる。
わたしはわたしの傷と戦っている。
その間、わたしは嫋やかに孤独だ。
(2022.6.27)
*
見ていられない作品が増えた。
そこに蔓延る理不尽や悪意に、容易く打ちのめされる。
現実と架空の区別もつかない。
今はただ歯向かう気力もなく、目を逸らすことしか出来ない。
過去が液晶の向こうから、やってきてしまう。
・ ・ ・
私のなかには星がある。
きっと、あなたのなかにも、あるのだと考えている。
胸に耳を当てると、間違いなく声がする。
毎日星の生まれる音がしている。
ああ。と、なる。
涙が出る。
毎日、死のう、が、死ななくてよかった。と、なる。
だからあなたが必要なのだ。
縋っている生命維持装置の、動力にすらなれない。
わたしの存在は、差し迫った必要もないのに。
弱い。
・ ・ ・
わたしはずっと、海のそばで生きてきた。
これからもそうなのだろう。
さざめきの沸き立つ音を聞く。
そのなかに、数多の悲鳴がある。
そして、安らかなる夜がある。
海のそばで生きる人はね。
不思議と懐かしい目をもってるんだよ。
そう話した君の横顔を思い出した。
わたしはずっと、そんな目をしていられるかな。
海のそばで。
水の流れる音を聞いている。
こころに澱んだどす黒い血が、さらわれていく。
汚れを砂で落として、裸足で歩くしかないのだ。
硝子で皮膚が裂かれても。
絆創膏は、あなたが持ってくれている。
生命を、細く、細く、つなぐような日々。
眠ろう。
・ ・ ・
最近、ひとつだけ夢ができた。
もしもこの精神が落ち着いて。
人間としての自信を取り戻して。
生きていけると思えるようになったら。
児童文学を書きたい。
夢ではないな。
これは祈りだった。
(2022.07.23)