NARRATIVE

闘病日記と化した雑記です。

観念について③容れ物

 

 

 

 

例えば。

 

私の食事は、私の栄養の容れ物だ。

私の住処は、私の生活の容れ物だ。

私の劇団は、私の表現の容れ物だ。

私の身体は、私の精神の容れ物だ。

私の言葉は、私の思考の容れ物だ。

 

 

 

 

私の人生は、私の物語の容れ物だ。

 

 

 

▽  ▽  ▽  ▽

 

 

 

容れ物は所詮、容れ物なのだ。

空っぽのコップのようなものだ。

 

コップに水を入れる、

も、ヘドロを入れる、

も、私の自由だ。 

 

コップを磨く、

も、水垢まみれにする、

も、私の自由だ。

 

 

 

けれどそれを同一のものだと考えてはいけない。

密接な因果関係にあるのは間違いない。

しかし、決して同一ではない。

 

 

 

▽  ▽  ▽  ▽

 

 

 

どんなコップを選ぶのか。

そもそもの容量と、形状は大事だ。

ボトルネックになる部分があってはいけない。

 

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ボトルネック - Wikipedia

 

 

慎重に決めるのだ。

 

適切な答えを選ぶことは安定を導く。

人は不安を最も恐れる。

 

不安定。

 

これが全ての不幸の正体である。

 

 

 

 

 

 

▽  ▽  ▽  ▽

 

 

 

もうはっきり言ってしまおう。

 

生まれたことに意味などない。

だから、生きていくことに意味があるんだ。

 

 

己の物語を書き上げることに意味があるんだ。

 

 

 

 

負けるな。

決して死ぬな。

 

あなたの人生が、

たとえどんなに惨めでも、

あなたの物語は、

どこまでも魅力的になれる。 

 

私はそれを読んでいたいんだ。

楽しみにしているんだ。

だから諦めないで書き進めてほしい。

 

 

容れ物に惑わされるな。

それはあくまで容れ物だ。

空虚なものだ。

 

 

真に輝く本質は、そこにはない。

 

 

 

 

自分なりのハッピーエンドでいいのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

メメント・モリ

そして人生は続く。

 

 

 

2019/06/30 御法川 わちこ