命の使い方
電車に乗った。
結婚だとか、出産だとか。
早くいい相手を見つけなさい。
いいお仕事につけるように努力しなさい。
義務みたいに語られる言葉を聞いていた。
なんとなく、不寛容な気がした。
時々こういう不寛容さを感じる時がある。
テレビから流れるワイドショーのコメント、電車で話すマダムたちの話し声、社会が投げかけるメッセージ、犯罪をおかした加害者への言葉、さまざまなものに、冷たいものを感じてならない時がある。
私は思うんだ。
たしかに。
命のバトンを繋げていくのは尊いことだ。
幸せになることは素晴らしい。
もっともっと幸せになればいい。
若者の幸せが資本主義を支えていくよ。
でも、バトンを握りしめて途方に暮れている人はどうしたらいいのだろう。奥歯を噛み締めて立ち竦んでいる人はどこにいけばいいんだろう。
私は思うんだよ。
自分の人生を完結させることが1番大切なことだと。くたびれて、立ち止まっても、最後まで走り抜ける希望をもつ人間の美しさを、私はちゃんと知っている。
いつか、バトンを置く日まで走ろう。
大事なことは、自分らしくあること、そんなこと、みんな分かってる。
だから、私は、自分を曲げてでも這いずる人々を尊敬している。
きっと誰もが永遠を夢みている。
でも、有限の命だからこそ、現実は美しい。
どんな現実だって映画的に美しいんだ。
命ある限り。
ほんとうに会いたいものと過ごそう。
そして人生は続く。