NARRATIVE

闘病日記と化した雑記です。

深夜、目覚めて、逡巡。

 

私の中で理想という言葉はなりたい現実あるいは未来・過去ではない。

あくまでも自分勝手な期待そのものなのだ。

 

 

酸いも甘いも噛み分けすぎてはちみつレモンにして頂きたい。

 

寂しいけど寂しくない御法川わちこです。よろしくおねがいします。

突発的に書かれた記事なのであんまり意味はないです。本当に備忘録。

感情込めすぎないようにパタパタ打ってます。

なのに見返したら暗い(ように見えてしまう)。仕方ないね。

 

 

 

 

たまに人生で一番つらい過去がのしかかった衝撃で飛び起きます。深夜に。

新しい朝を迎えられない日があるんです。

そんな時はもう一度眠ります。

すると案外、日の目を見ることもあります。

 

なんぞ私の悲しみはこの程度か、と自分の凡庸さにがっかりさせられる。

(今まで生きてこられてよかった、と自分の凡庸さに泣けてくる)

 

 

衝動で写真フォルダを殻にすることがあります。

画像とビデオを消去しています。

画像とビデオを消去しています。

画像とビデオを消去しています。

フラッシュバックのように画像が次々と消えていきます。

そんなことをしても過去はなくならない?

タイムマシーンにでも乗ったことがあるのか。

すべては思い込みだ。それぞれが自由にとらえた思い出。

それでも過去は美しかったと回想してしまう人間に生まれてしまったな。

 

 

どうして今を生きているのに、どうしようもなく過去の影を意識するのか。

 

存在を許されていたいと思いながら、差し伸べられる手を掴みながら、それらすべてを心の根っこの部分で許容できないでいるのはなぜか。考えても考えても結局他人に甘えてしまう自分がいるのは、人間が生活を送るうえで仕方のないことだと気づいたときは虚しかった(=人は一人では生きていけない、簡単な真理だ)。私はそれをどうも認めたくないらしく、個人的に迷惑をかけたと思うシーンを再上映する夢を見てしまう。その度に「アーメン」みたいな気持ちで唱える言葉があって、それは「理想的な行動をとるのに、理想的な人間である必要はない」ということ。ずるくてもいいって自分を騙すのは大人になったな、と確かに感じる。私が思っているより他人は私の中身に興味がなくて、表面的に炙り出た汁みたいなのをぺろぺろされてるだけだって解釈は少し生きやすくさせた。やっぱり気持ち悪いものには変わりないけれど。なのにわざわざこうやって御開帳してるのは、やはりこういう人間なんだということを自己欺瞞したくないだけなんだろうな。

 

今になって改めて思うことは、私は全然自分のこと好きじゃない。

 

制服を着て張り裂けそうなほどパンパンに膨らんだ自尊心を締め付けていた頃と何にも変わってないし、相変わらず言葉には傷ついているし、やりたいことも全然できない。不健全な精神は不健全な肉体に宿るのを証明するように、毎日お酒で感覚を鈍らせて、過敏な感傷を誤魔化すようにして一人眠っている。彼氏もいない。最も変わってほしかったけど、残念なことに、映画や音楽の価値観を現実に持ち出す癖もまだある。(ラ・ラ・ランドを見たときなんて最悪だった)

 

こうやって考えてみると、根本が変わってないから過去が甘えてくるんだな。

昔と違うことといえば、一つだけだ。

私は明確に生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。めっちゃ。

確かに自分の中に可能性を見つめてる喜びがある。わくわくすることが増えている。

 

理想的な人間にはなれなかった。

でも、新しく探す気持ちがあるのは幸せなんじゃないの。

それはたどり着くよりも迷ってる時のほうが美しく映るオアシスみたいなもので、今はその夢を見ていたい気がする。

 

知らんけど。

 

 

 

2019/01/12 御法川わちこ