NARRATIVE

闘病日記と化した雑記です。

私について①公開処刑

 

 

ちょっといろいろあって言葉を綴れない日々でした。

今日も元気じゃなくてもいいから生きていこう。

とりあえず延命処置するためにブログを書こう。

好きなAV女優の話でもしよう。芝居の感想も言わなきゃ。

 

 ……と思ったのですが。

せっかくなので今日は心の話をします。

もうええねん。演劇は人生の暴露じゃい。

 

今回は熱い自分語りなので、よろしくお願いします。

 

 

「解離性健忘」という言葉をご存知でしょうか。

 

mentalhealthjoho.com

 

気が向いたらぜひ読んでみてください。

要するに「心理的ストレスにより(全体的ないしは限定的に)過去の記憶を思い出せなくなる」という症状のことです。

 

どうやら自分はこれに当てはまっているらしい。

というのを、去年の暮れにゼミの教授との対話の中で認識しました。

 

 

「メンヘラかよみっともないなぁ、草生え散らかすわ」

 と思ったのを覚えている。

 

 

もともと物覚えは悪いのです。 

しっかし記憶に靄がかかっているなんてもんじゃないんですよね。

ごっそりその時期の記憶が消えている。

そして話そうとすると言葉が出てこなくなる。沈黙。

 

ぴりぴりと後頭部に電流が走る。

 

 

ただ、それ自体は別になんてことないんですよ。

心の防衛本能で守られているものをわざわざ暴く必要はない。

欠陥があるならば他で補えば良い。

一番大事なのは健康的に今を生きることですから。

だからどうということの程でもない。

 

 

 

と、思っていた時期が私にもありました。

 

 

 

私はずっと人間不信でいたのです。

それは生来の気質だと思っていました。

信頼関係を築かないように生きるのが格好いいと思ってるのか?

だとしたら痛い女だな、でもそう生まれたのだから仕方ないと。

自分の中にグロテスクな部分があるのも知っていました。

 

 

適度な社交性と表現力を身に着けました。

パフォーマーを強いられていたこともあります。

人の心を学んで相手の気持ちいい部分を刺激する訓練もしました。

自分の心に濾過機を設置して物言わぬバケツになっていた。

私は優秀な人形として生きていました。そうして扱われることも好きでした。

 

本当にそれで幸せだと思っていたし、平和だと思っていた。

(それは自分を度外視した幸せの提供なのだよ、と教えてくれた友人たち本当にありがとう)

 

 

ただ誤算が生じ始めました。

私の暗い部分に目を向けてそれでも尚愛してくれる人たちが出来ました。

変な人間です。適度な距離感、適度な温度感で付き合おうと思えばいくらでも消費されるのに、それを望まない。きちんと本音で向き合えと、嘘をつくなと言ってくれる。

 

本当にありがたいことなんです。

ただ他人から油を注がれると錆びついた記憶の蓋が開きやすくなる。

信頼関係を築いた者同士の対話が気づくとカウンセリングになっている。

感情が揺らぎやすくなって弱い人間になってしまう。

相手は自分が何か悪いことをしたのかと傷つく負のサイクル。

 

他人を不幸にしてまで得られる幸せならいらない。 

心配をかけていたくない。ならば関わらなければよい。

深みに足を踏み入れてはいけないと距離をとる。

 

そうしていればそのうち寿命が来るだろう。 

 

幸せになりたい、仲良くなりたいと思う人もいる。

しかし幸福を求めると私は不幸になる。

 

 

……というジレンマを抱えていたわけなのです、が。

その弱さまでまるっと受け止めてそれでも君が好きだと言ってくれるわけです。

本当に稀有だと思います。そしてそういう人が少しずつ増えている。

 

私にはもったいないくらい、いい人生なんですよ。

人を恐れず関わってもいいんだと思える。

みっともない自分を晒しても笑ってくれる。

孤独を理解して抱きしめてくれる。守ってくれる。

 

それだけで生きられると思わないか。その記憶だけで幸せじゃないか。

 

 

……でも、少しだけわがままになって、そういう記憶を増やそう。

もっとたくさん人と関わって、たくさんの人に愛されて、愛していこう。

怪我してもいいから転がっていたい。もっと知ってほしい。

 

人が大好きだ。人の生み出すものが大好きだ。

でもずっと苦手だった。怖かった。痛いものだった。

明るい場所に引っ張り出してくれる人に感謝して生きよう。

 

 

勇気をもって。

人と生きていこう。

 

 

 

 

2019/02/19 御法川わちこ