NARRATIVE

闘病日記と化した雑記です。

2020/07/19-20

 

この2日間は、めずらしく幸せだった。

とてもとても悲しいこともあったけれど、だからこそ対人関係を尊重して過ごした。私がいつ死んでしまっても構わないように、言葉を尽くしていたのだと思う。

 

幸せになろうとしないと、幸せはやってこない。素直になることも必要だ。自分に幸せになっていい、なんて許せること。ほんとうに不思議に感じる。昔は到底そんなふうには思えなかった。

最近は酔っぱらっても泣いたりしない。現実逃避として酩酊したりしない。生きていかなければならない気がする。 生きていていいのか? 少なくとも、そう疑問に思えるくらいになってきたのは、私のことを大切だと言ってくれる人がいて、支えてくれる人がいるからなのだろう。心を強くもって生きていけそうになってきた。話を聞いてくれる人や親友の存在に救われている。慈悲を浴びる。ありがとう。何とか呼吸している。

 

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私はよく他人の言葉が毒素となって、自分の中に溜まっていくような感覚になる。モヤモヤを吐き出したくて、お酒で洗い流すように飲んでしまう時は、大抵ひどい酔い方をする。生き急がないで、自分を大切にして、と言ってくれた彼女の言葉を思い出した。大切な人が自分のことを大切にしないって、どんなきもちだったんだろう。今になって考えてしまう。

 

幸せを感じる私は、歩きながら大手を振ってご機嫌な様子だ。自分はすごく祝福されていて、神の息吹さえ感じられるような気がした。All is full of love.と囁いてくれたBjörkの言葉の意味が少しだけ理解できるようになってきた。少しだけ目を開いても大丈夫だね。この世界は恐ろしいことばかりではない。

 

自分にとって大切な人を大切にしたい。

自分を大切にしなければならない。

その為には、何が必要なのかを考えた。

私にこの先の人生でなにができるんだろう。

一丁前に、見放されたくない。と思ってしまった。

 

私は自分の逃避癖がすごく嫌いで、苦しい思いや実際に他人に迷惑をかけたこともたくさんある。それに対して、今日、ものすごく幸せな言葉をもらった。そういう価値観もあるのか、と驚いたあと、ちょっと泣いてしまった。どうしてこんな考え方になるんだろう。育ちのいい人だ。あったかい。

 

最近はほんとうに、たくさんの優しい人たちと話して生きているから、温かい言葉をいつも胸に抱えて生きていけている。オレンジ色のメッセージ。心がブルーになっても、すぐに中和される。みんなみたいに、誰かに優しい言葉をかけてあげられる姿勢が羨ましい。二日酔いに飲むお味噌汁みたいな人ばっかりだ。そういう人に私もなりたいよ。

 

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マブダチが作ってくれた朝ごはん。美味しかったな。ペットを飼ったらこんな感じなのかも。ニートを飼ったら……と呟く彼女の顔を思い出すと笑ってしまう。

私は何故か人にご飯を作ってもらったり、奢ってもらったりと、ご飯をもらうことが多い。自分で書いていてちょっと恥ずかしくなってきた。乞食か?

とにかく、誰かと食事をとるという行為がとても好きだ。差し出された愛が、コトンと目の前に置かれる感じがする。生きていていいよって言われているような気がする。ちゃんと食べてる? は、ちゃんと生きてる? という言葉だと思う。

 

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(映画wavesの音楽、最近ずっと聞いている)

 

転けた時に、立ち上がらせてくれる人がいる。それを当たり前だとは思わない。誰しもが、心の中で挫けたり、座り込んでしまっている瞬間があるのだと思う。目には見えなくても。いつだって手を差し伸べたい。想像力を働かせて。温かくて傷つきやすい魂、そういう生き物の味方でいよう。私がいつでもそうしてもらっているように。愛をこめて生きよう。

 

少なくとも、私の周りだけは

優しい世界になりますように。

 

これを見ているあなたに愛を。

情報社会に疲れた時は、私と呑もうね。

あなたの心と身体を大切にしてね。

 

 

今日は部屋を片付けます。

 

 

 

 

 

そして人生はつづく

 

2020/07/21 御法川わちこ