私について③幸福な沈黙
御法川わちこです。
どうしよう。
満たされた人というのは、言葉が出ない。
今は何も投げかける投石を持たない。
そういう時にこそ、記録すべきだ。
言葉を放つという行動は、
それ自体が承認欲求そのものだ。
人は何故言葉を生み出したのか。
これを考え続けると最高に優しい人間になる。
そして心は永劫溢れ続ける。
ただ、その言葉を正しく理解されるということは、言いたいこと伝えたいこと、秘めたものが多くなればなるほど稀有になっていく。
思考量の多い人間たちは、他人から難解で面倒だ、と捉えられるのを充分熟知しているからだ。口を噤む。
秘密の多い人生だった。
「言ってる意味がわからない」
「何考えてるの、気持ち悪い」
「変わっているよね」
何度言われたか分からない。
伝わらないことが当たり前になった。
理解されないなら理解されたくないよ。
言葉の真意はやがて、
自分ですら見つけられない心の奥底へ
押しやられていった。
肥大化する偶像の自己を、
いつの間にか真相だと錯覚していった。
蜃気楼の中で呼吸をしていた。
私は報われる日が近いのかもしれない。
眠れる日が来るかもしれない。
明日がやっと迎えられるかもしれない。
孤独という名の死神が私を手放すかもしれない。
こんなに温かいものがあるのだろうか。
毎晩心から涙が出る。
痛感させられる。
実感を伴って追い詰められる。
私はずっと、本当にずっと寂しかった。
会いたかった。
もう誰にも何も話したくない。
ああ。
幸福な沈黙。
2019/03/28