NARRATIVE

闘病日記と化した雑記です。

バランス感覚

 

 

先月Twitterを始めた。

ありがたいことに、舞台を見に来たお客様から、「Twitterやってないんですか?」という声が多く寄せられたからだ。

 

ただ、どうにも気が滅入る。

というのも、何を呟けばいいのか。

日々の思索を話すと、重い気がする。

どうも、浮いている。気がする。

 

じゃあ、軽いことを呟けばいいのか?

とも、思うけれど、性にあわない。

 

結局、観劇やら鑑賞したこと、朝の挨拶などに気の利いた(と自分では思ってる)文章を添える程度にしている。

 

本当は、日々、絶望やら希望やらを抱いたり消え去られたりしているのだが、そんなにプライベートな話を誰が聞きたいのか? とも思う。

 

気にしなくていいのに、という自分もいる。

けれど、印象というのは恐ろしいもので、最近の人は初対面と会うと、帰り道に電車でTwitterを検索したりするらしいじゃないか。そんな時代に、軽々しく呟くのも軽率かなあ、とか思う。

 

そう考えるとやはり、blogはいい。

よくわからない人のことを知りたいと思った時に、140文字(だっけ?)で知ろうとする人よりも、blogを読もうとするタイプ(まあつまりあなたみたいな人だ)は、素敵だと思える。

 

私も自分で自分が何言ってんだか何考えてんだか分からないから、こういうふうに文字に残して後から見返せるようにしている。そんな人間なのです。

 

だから、気楽に見ていってほしい。

記事によっては何言ってんだか本当に分からないけれど、それは現時点での私の至らなさであって、50歳くらいになってやっと、人に説明できるようになれたらいいな、という気長さで書いている。

 

 

という感じです。

生々しい言葉もいいけれど、言葉を選んだ本音が言えるようになりたい。

よろしくお願いします。

 

 

 

そして人生は続く。