NARRATIVE

闘病日記と化した雑記です。

空転する人生について

 

 

久しぶりに言葉を連ねようと思って、空き時間にずっと書いていた記事を誤操作で消してしまった。でも、内容はむちゃくちゃ暗かったから消えてよかったんだと思う。その調子でいこう。

 

大抵のブログは、自分の経験を切り売りしている。自分の思考ではなく。だってそうだよね。多くの人にとって、観念は何の役にもたたないからね。でも、わたしは自分の考えを無駄にグダグダ書き続けようと思う。

 

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なんかもう、無理して嘘つくのやめようって思った。誰も得しないから。後から溜め込んだもの吐き出されて困惑する相手がいるってこと、自分が1番分かってるじゃん。できないことをできるって言わない。こんな簡単なことがいつまで経ってもできない。その場しのぎで生きてたって仕方ない。

 

そんで、「幸せになる」ってのを馬鹿にするのも、もうやめる。幸せになるよ。そのために努力するよ。不幸でもいいやなんて思うのは、一人で生きていく人だけの特権だった。自分にとって大事な人と関わっていきたいなら、その人の繋がってる人々のためにも、幸福でいなきゃいけないんだなーって思った。すげえでっけえ空見てたらそんな気がしたよ。

 

もうこの「空転する人生について」なんていうタイトルも、8月の終わりくらいにめちゃくちゃ病んでる時に、如何に自分が辛いかを出来のいい文章で頭良さそうに書き上げようと思ってつけたんだけど、そんなのもうどうでもいいんだよ。村上春樹が好きで憧れてました。文章真似てます。

 

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今、結構長距離移動してて。

ほんきで暇だからこの文書書いてるんですけど、書いては消して書いては消してを繰り返して、ついに開き直っちゃったよ。思ってること書けばいいんだよ。

 

ひねくれているから、日常でサブテキストを勘繰ってしまう。なんか人から「ありがとう」って言われると、「これくらいできて当たり前だろ」とか思われてんじゃないかとか思って苦笑いしかできない。

 

この前、おばあちゃんがわたしの高校生くらいの頃に取った俳句の賞を出してきた。結構有名なお茶の、プラゴミになって捨てられるものの賞。表彰されたんだよね何故か。それを、知り合いに自慢して回ったんだって。なんかね、うん、くっそ恥ずかしかった。

そんなもんしか自慢することないもんな、と思って。ろくでなしに育っちまってさ。申し訳なさと罪悪感で、ふふふって笑っちゃった。

 

 

何がトロフィー足りうるのか。

 

 

考えるよ、この歳になると。わたしは女だから、じゃあ、収入がいい人と結婚して、子ども産んで、ちゃんと孫の顔見せてさ。所謂普通の幸せを掴み取って、両親安心させなきゃいけないのかな、とか思うよ。

 

ずっと演劇やってるけど、じゃあ、演劇でなにか評価されたかっていうと、なんにも評価されてない。好きでやってただけだから。結局。ほんとに好きだったのか? 必要とされるのが嬉しかったのかもしんないな。寂しかったからさ。

 

 

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でも、ひとかどの人間になろうとは思わない。大好きな文豪とかの論文とか読んで、死後も永遠に擦られているのを目撃すると、すげえ辛くなるんだよな。表現したいもの、自分にとって意味のあるものを表現しているだけなのにさ、批判されたり、無価値だとか言われたり、不特定多数の人に自分の作品が見られたりするわけだよ。そんなの地獄じゃんか。こんな小劇場の狭い世界だって、飲み会の席で散々言われてた話を耳にするだけで卒倒しそうになるのに。

 

なにがトロフィーになるんだろうね。

 

他人に自慢出来る子どもであることがいい事なのか?自分がトロフィーであることがいい事なのか? それとも、誰のものでもない荒野の枯れ木であることが素晴らしいことなのか?  ステレオタイプの幸せを追求すればいいのか?

 

わたしは、どんな賞にもノミネートされなくても、生きているだけでトロフィーになりたいよ。でもそれは多分、わがままなんだろうな。

 

昔は誰にも評価されなくてもいいと思って生きていたけれど、わたし最近「わたしはこの人が好きだけど、この人はわたしといて何のメリットがあるんだ?」って考えてしまうんだよな。せめて普通の人間だったら、普通の感性だったら、普通に就職してたら、目の前に流れてきた幸せを掴んで生きていけたのかな。隣に立ってる人に誇らしく思ってもらえるのかな。お酒や煙草で誤魔化したりしなくて済んだのかな。

 

どうしたらドロップアウトせずにいられたんだろうか。どうしていつも上手くいかないんだろうな。

 

 

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普通に幸せになりたい。

誰にも迷惑かけたくないし、まともになりたいよ。もう目が覚めた時に、わたしを産んだことが人生の汚点だとか、そういう言葉を扉越しに聞きたくないんだよ。いつだって、わたしに対する本音は扉越しか拳か、嫌味と呆れを含んだ言葉で伝えられるんだよな。それって愛なの?

 

不必要に怯えなきゃいけない要素ばっかり増えていって、対人関係なんて無茶苦茶になってしまった。高校生の時、スカートに精液ぶっかけられて電車乗れなくなって学校行けなくなったあたりで、異性なんてずっと怖いしさ。

 

相手の機微を観察して、怖いことされないように、下手に拒絶して逆上されないようにと思って接してたら、逆に面倒事や厄介事にばっかり巻き込まれるようになった。どうしたら良かったんだよ。

 

最近まで結構頑張ってたんだけど、あまりにも度重なるから全部無理になっちゃった。他人越しやら電波越しに伝えられる下心は、あの日ぶっかけられた精液に似た不快感だ。

 

電車のおっさんも、有隣堂で盗撮してきたトカゲみたいな顔したサラリーマンも、ようわからんストーカーも、目が合った瞬間にダッシュで逃げていったけど、今頃何してんだろうな。普通に生きてんだろうな。

 

応援してくれている人のおかげで何とか立ってたけど、なんの為にやってるのかわかんなくなってきた。

 

 

それでも幸せになろうとしなきゃいけないんだよな、せっかく生まれたんだからさ。必要とされているうちに、せめて少しでも人の役に立ちたいな。マイナスの価値でも、誰かのために動いているうちは、生きてていい気がする。惨めになりたくないって思ってもいいよね。

 

 

例えそれが瞬間の輝きで、あとは押し入れにあるだけでホコリ被ってたとしても、おばあちゃんが時々取り出して笑顔になれるんだったら、それは意味あることだったのかなって思ったんだよ。

 

なんでこんな事ばっかり書いちゃうんだろうな。でもちょっと、前を向けそうな気がする。

 

プレステのトロフィーの数が現実にも反映されないかな。されないか! 普通に頑張るよ。うん、頑張る。読んでくれてありがとう。

 

 

 

 

 

そして人生は続く。

 

 

2020/12/08