横浜美術館「トライアローグ」に寄せて
横浜美術館「トライアローグ」
ド頭にお目当てのピカソが展示されていて驚いた
この3作品の中では、画像左上の作品が見たかった
というのも
この作品は、いわゆる「青の時代」のものだからだ
ピカソは、1901年に、親友の死を経験する
それは親友が呼び寄せたパーティーの最中に起きた
親友は想い人に対して銃を用いた無理心中を図る
しかし、目論見は失敗
結果、親友1人だけが息を引き取ってしまう
この謎の心中騒動がなぜ起こったのか
それは本人たちしか知り得ないが
一説によると、ピカソ、親友、そして親友の恋人は奇妙な三角関係にあり、ピカソが不義を働いたかもしれないという疑惑の手紙があるのだそうだ
また、親友が性的に不能であり、想い人はそんな彼の愛に応えられなかったからだという説もある
いずれにせよ
20前後で親友の死というショッキングな出来事に立ちあったピカソは、そこから3年程、葛藤の歳月を描き続けた
彼を巡る記憶の断片、貧しい人々、自画像などを、
青とモノクロを用いた画風で表現したのだ
この青の時代における陰鬱な表現により買い手がつかず
貧困が極まり、精神状態も益々悪化したといわれている
この苦悩の日々から生まれた作品群を
「青の時代」と呼ぶ
この絵は、そんな親友の死から
実に1年が経った頃に描かれた
わたしはピカソというと、
ゲルニカよりも青の時代の作品が好きだ
戦争というものが理不尽な外的刺激だとしたら
親友の死に対しては
非常に内的な情動を感じる
……もう少し噛み砕くと、例えば、戦争は自分にはどうしようもないが、親友の死は、自分次第で止められたのではないか? という葛藤、自己との対話によるものから生まれた苦悩があるように思われるからだ……
・
わたしは、抽象化されたものに対して
突き放されるような感覚があり、とても苦手だった
「これ、どう? 分かる? わっかんね〜か〜
ま、だよね〜、じゃ、あとは好きに解釈してくんろ〜」
みたいな印象を受けていたのだ
しかし、今回見ていて
それが間違った認識であると思い至った
なぜなら
抽象化の為には、他人を信じる必要があるからだ
他人の想像力に委ねなければ
どこまでも自分で説明しなければならない
今までは説明された世界が好きだった
作者が美しいと感じたものを忠実に説明する
その世界に没入することで、つかの間の癒しを得る
現実逃避としての芸術が好きだった
けれど、そうではないのだ
言葉でも描写でもない
相手の知性を信じられる時
そこに無限の可能性を込められるものなのだ
抽象とは、今、目の前で、現実として、
わたしと絵の間に結ばれた信頼関係なのだ、と
こころが温かくなったような気がした
(思えば、確かに、こころを許した人間との間に
言葉や表現が必要だろうか
世界の侵入を許すものだろうか
そこにはただ、抽象化された存在だけが
2つ並んでいるのみではないか)
・
貧困や、親友の死や、戦争
目まぐるしく世界の影響を受けて
たくさんの不信感と悲しみに出会いながらも
青の時代から薔薇色の時代へと変遷をとげ
最終的には伴侶を得て
抽象化の境地に至ったピカソ
彼ほど作風が変化する画家というのは
とても珍しいのだそうだ
わたしは、どことなく彼から希望を感じる
どんな残酷な時代にあっても
いずれこのような抽象を描ける日が来るのならば
……他人を信じられる日が来るのならば……
なんとも生きていく勇気が湧くではないか
信じて生きていけるかもしれない
眠れない夜も、刺さった言葉も、壊れた自分も
取りこぼした過去も、選択できたはずの未来も
泣くことしか出来ない現実も
なにひとつ救えないとしても
それでも生きていたいと思えるかもしれない
明日になれば何か変わると
息を潜めて耐え忍んでいくこと
そんなふうに生きていてもいいはずだ
きっと そう願う
(ちなみにキュビスムに関しては、未だにさっぱり分からない。入口すら遠く感じる。勉強不足も含め、これもいずれ分かる日が来るのかな。そう考えることも、希望になりうる。己の進化、感性が磨かれるのを待つ)
2021/03/11