NARRATIVE

闘病日記と化した雑記です。

お別れの向こう側から

 

 愛犬との闘病生活が、突然に終わった。

 

 

 その知らせを、私は外出先で受け取った。電話をかけてくれた妹は、なんだか落ち着いた口調だった。テレビ通話に切り替えて遺体を確認しても、それは現実味のない風景だった。どこも動いていないのだけれど、お腹が上下しているような錯覚に陥った。

 いつかはこんな日が来ると思っていた。もっと背中を冷水が流れ落ちるような感覚がするのかと思った。実際は、ため息が出て、そうか。と、心の中で言葉が浮遊しただけだった。ドラマチックなものなんて何一つなかった。

 

 

 とにかく帰宅しなくてはと思った。用事を済まして、熱い日差しを感じながら坂を降っていると、何かが確実に違うのに、何も変わっていない現実が心底不思議だった。

 昼過ぎの、人の少ない下り方向の電車に乗りながら、落ち着いて会いたいからカフェにでも寄って帰ろうかな、とぼんやり考えていると、突然ぼろぼろぼろぼろ涙が溢れてきた。

 それは自覚とも理解とも違った。

 頭は冷静なのに、涙だけが壊れたみたいに止まらなかった。

 

 

 家に帰って、玄関を抜けると母の丸まった背中が見えた。ゆっくり振り返って私の名前を呼ぶ母の声は、気の抜けた様な音がしていた。泣き疲れた人の声だった。

 母の前にある長方形の大きな段ボールは、紛れもなく棺の役目を果たしていた。

 

 人生で取り返しがつかないのは死だけなのだ。と、その時分かった。

 

 

 犬を飼う人にも様々なスタンスがあると思うのだけれど、我が家は家族同然に扱うタイプだった。話し合った結果、火葬を見守ることに決まった。

 

 愛犬の棺の横で、家族が泣いたり、話しかけたり、思い出話で笑ったり、顔をつきあわせてご飯を食べたりしていた。妹は朝まで愛犬の側から離れなかった。

 私は眠れない夜のあいだに、私たちは大切な存在を失ったけれども、同時にこの子の隣で、こんな風に大切な瞬間をいくつも過ごしていたのだと思った。

 宇多田ヒカルが、死と生は隣り合っていると話していたのを思い出していた。私はその意見に賛成していたのだけれども、愛犬のおかげで痛みと共に実感として理解できた。

 

 

 対応の丁寧なお寺で、消沈する家族の心もずいぶん癒された様だった。

 室内にいるのも居心地悪く、蝉が鳴きわめくお寺の境内で座り込んでいた。すると、人懐っこい猫が寄ってきた。猫を撫でながら、ありがとうと呟いた。猫は気ままでいいな。でも、飼うのはやっぱり犬がいいよ。

 マスクをつけた人がチラホラ横を通り、お線香をあげて手を合わせていた。こんな場所があって、その人々の一人に自分がなる日が来るなんて、考えたこともなかった。

 

 名前を呼ばれて、狭い、工場のような音のする小部屋に入った。きちんと遺影が飾られていて、その写真でさえ愛しいと思えて、何故か笑ってしまった。マスクをしていたから、妹に怒られることはなかった。

 

 大好きな食べ物を亡骸の横に置いて、花でいっぱいに飾りつけた。

 綺麗だった。

 

 あっという間に儀式の最後で、愛犬を送り出さなければならなかった。

 シャッターがゆっくり閉まっていく瞬間のことだった。

 不意に「ああ、これ、人生で一番悲しい」と心の中で叫び声がした。

 

 すごく長い時間のように感じた。みんな黙っていた。

 おばあちゃんが、ぽつりと、「ありがとうね」といった。すると、空間のなかで堪えていたものが決壊して、家族が次々に名前を呼んだり、感謝の言葉を投げかけたりした。私は何も言えなかった。悲しすぎて喋れなくなるというのは、こういうことなのかと思った。

 

 納骨のために家族で骨を拾っていると、妹が「骨までかわいいね」と言った。私はショックを受けていたので何も答えられなかったけれど、何故か納骨の儀式はその日1番の盛り上がりを見せていた。担当の方が各部位を説明するたびに、それぞれが博物館で解説を受ける子どもみたいな反応をしていた。静かにしてくれ、と思った。

 

 最後に頭蓋骨を持ってみんなに見せるとき、骨の欠片が左手に落ちてきた。

 どうしてか、それを手放す事ができなかった。家族に見つからないようにずっと握りしめて、いけないことを考えていた。ぐるぐる、ぐるぐる自分を正当化する言葉を用意して、最後は諦めたように、そうするしかないと悟った。

 帰りの車のなかで、私はその骨を親指と人差し指ですり潰して食べた。

 その行為の意味は、私しか知らなくていいと思った。

 

 

 

 今、うちの家には綺麗に包装された骨壷があり、隣に写真立てが置かれている。

 そのようにして私は、人生で初めて、家族を喪失した。

 

 

 

 

 ある程度の時間が経って、不思議なことに悲しみと同じくらい、感謝の気持ちがある。

 そして、喪失した存在のために、自分が生を全うしよう、と遺影を見るたびに思う。

 月並みな言葉ばかり浮かんでは消えて、今はシンプルに安定した。

 

 これは本当なのだけれど、あの子は私が死なない限り、私の中にあり続けるのだ。

 だから、その存在を引き受けて、生きていかなければならない。

 ただ一つの証明をするために。

 

 ありがとう。

 眠い時に香る独特な匂いが大好きだった。

 

 また会おう。

 

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2021/08/10